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[労災]に関する記事

ファミリーマート過労死事件和解成立報告

2017-08-10

「~ファミリーマート過労死事件和解成立報告~」
弁護士 喜田 崇之

【はじめに】
大手コンビニエンスストア「ファミリーマート」のある店舗で勤務していたアルバイトの男性従業員(当時62歳)が、極めて過酷な長時間労働の中で過労死した事件で、遺族が㈱ファミリーマートと店舗オーナーを相手に起こした損害賠償請求訴訟が、平成28年12月22日、和解が成立しましたのでご紹介致します。

【事案の概要】
亡くなられた従業員は当時62歳で、亡くなる前6か月間の時間外労働時間は、一月当たり、過労死基準を大きく超える218時間~254時間にも及んでいました。休日もほとんどない状況で、深夜・早朝の労働にも従事していました。亡くなられた従業員は、そのような長時間労働による疲労が蓄積した状態の中、脚立に乗って作業している際に意識を喪失し、転落して床面に頭部を強打しました。すぐに救急車で運ばれましたが、脳死状態になり、しばらくして亡くなられました。

【㈱ファミリーマートを提訴した経緯】
ご承知の通り、コンビニエンスストアの業界では、フランチャイズシステムが導入されています。㈱ファミリーマート本体は店舗オーナーとフランチャイズ契約を締結し、各店舗は、店舗オーナーが経営します。ですので、各店舗で勤務するアルバイト従業員は、㈱ファミリーマート本体ではなく、各店舗オーナーに雇用されることになります。従いまして、㈱ファミリーマートは、原則として、雇用に関する責任を負うことはなく、これまで日本の裁判では、フランチャイジーが雇用する従業員の労働問題について、フランチャイザーの責任を認めた裁判例が一件も見られない状況でした。
しかしながら、フランチャイザーである㈱ファミリーマートは、各店舗に原則として24時間営業を義務付けており、相当数のアルバイト従業員の労働によって初めてファミリーマートビジネスが成り立ち、大きな利益を生んでいます。また、㈱ファミリーマートは、アルバイト従業員の給与計算等の労務管理も行っており、時には各店舗の従業員を指導したり、研修の参加を義務付けたりもしており、店舗従業員との関係がないなどと言えない実態となっています。
そこで遺族は、フランチャイザー本体が何ら責任を負わないことは不合理であると考え、直接雇用責任を負う店舗オーナーだけでなく、㈱ファミリーマートも提訴することにしました。

【和解の意義】
提訴してから約1年半の歳月を経て、最終的に和解が成立しました。亡くなられた従業員が過労死基準を超える労働時間に従事していたことが、㈱ファミリーマート本部に毎月報告されていたにもかかわらず、長時間労働が放置されていたことも裁判の中で判明しました。
㈱ファミリーマートが店舗オーナーの従業員の過労死事件につき和解に応じたこと自体、極めて稀なケースです。そして、この和解は、コンビニチェーン店で働くすべての従業員の過酷な長時間労働を抑制し、コンビニフランチャイズの社会的信頼を高めていく上で大変意義があると思われます。
本件和解は、同年12月30日以降、全国で大きく報道され、㈱ファミリーマートも、NHKの取材に対し「今後も加盟店が労働法規を守るように指導していく。」とコメントしました。各店舗で勤務するアルバイト従業員はもちろんですが、過酷な労働環境に晒されている店舗オーナーも少なくなく、店舗オーナーの働き方そのものも見直されるべきであると考えます。
残念ながら、我が国では、フランチャイズ契約を包括的に規制する法律がありません。本和解をきっかけとして、今後、コンビニフランチャイズ業界で同様の過労死事件(ないし長時間労働問題)が起きないように、社会全体で24時間営業のコンビニチェーン店で働く加盟店を含めた従業員の労働環境が少しでも改善し、包括的なフランチャイズ契約に関する法律の立法化が進めばと考えています。
末筆ですが、亡くなられた従業員の方のご冥福をお祈りいたします。

なお、当該事件は、いわき総合法律事務所の岩城弁護士、稗田弁護士、天王寺法律事務所の瓦井弁護士と弁護団を組んで解決致しました。

認定された後遺障害等級の水準以上の内容で労災訴訟の和解成立

2017-06-15

「認定された後遺障害等級の水準以上の内容で労災訴訟の和解成立」

弁護士 喜 田  崇 之

【はじめに】

建設現場で鉄鋼の落下に巻き込まれて怪我をした男性(当時46歳)の裁判で、労災で認定された後遺障害等級(12級)以上の水準の和解を勝ち取りました。

【事案の概要】

原告Xさんは、2011年11月、建設会社Y1の従業員として、建物解体工事に従事していたところ、別の作業員が鉄骨柱の引き倒し作業中に、Xさんの左足に鉄骨柱が落下し、左前前十字靭帯断裂、左膝内側側副靭帯損傷断裂、左大腿骨外側側副靭帯付着部骨折等の傷害を負いました。その後、労災申請をしたところ、12級7号が認定されました。

Xさんは、Y1社に復職し別の仕事を与えられましたが、退職しました。Xさんは、別の仕事を転々としていましたが、事故から約3年半以上経過しましたが、弁護士喜田がXさんの代理人に就任し、2015年9月、Y1社及び現場責任者のY2社を相手に損害賠償請求訴訟を提起しました。

【裁判の進行】

Y1社及びY2社は、事故の責任を全面的に争いました。労災事件ではよくあることですが、こちら側に有利な客観的な証拠は限定され、現場にいた従業員や会社側は、事故態様についてXさんの認識と全く異なる事実を主張していました。

原告側は、労働安全衛生法及び同規則違反等の事実を丁寧に積み重ね、Xさんの怪我の状況や現場の周辺事情から、Xさんの主張する事故態様が真実であることを主張していきました。そして、本件の状況では、鉄鋼柱の引き倒し作業の危険を防止する措置を何ら講じることなく作業した等という安全配慮義務違反があると主張しました。

また、本件では、損害の認定も大きな問題でした。労災の認定である12級7号を前提とすると、労働能力が14%喪失したと判断されることになるのですが、Xさんの後遺障害の状態、生活状況等を聞いていると、それ以上の労働能力の喪失があると判断されましたので、その主張も尽くしていきました(提訴時には労災の不服申立期間は経過していました。)

そして、ある程度の主張・立証が尽くされた後、2017年4月、裁判所から和解案が文書で提案されました。

【裁判所の和解案】

裁判所の和解案は、全面的にY1社及びY2社に責任があることを前提とする内容でした。そして、Xさんの損害についても、「労働能力の喪失は20%を相当とする。」と明記されており、労災で認定された14%を超えることを前提とした損害額が提案されました。そして、さらに和解交渉を進めた結果、最終的に、裁判所の当初の和解案からさらに上積みを得た金額での和解が成立しました。

【最後に】

裁判所の和解案はXさんの側の主張を全面的に肯定した十分な内容でした。

Y1社とY2社の責任を認めた点はもちろんのこと、損害について、労災認定時より大きな労働能力の喪失を認めた点は、十分に評価に値する内容でした。この点は、Xさんの状態についての医師の意見書を準備するとともに、いかにXさんの日常生活、仕事中に支障が出るかを具体的かつ詳細に主張した結果が功を奏したものと考えています。

労災認定を覆す判決・和解を勝ち取ることは、実務上、容易なことではありませんが、その可能性は必ず検討する必要があります。

やはり労災事件は高い専門性が要求される分野の一つです。お困りの際は、ぜひ、一度、ご相談下さい。

建設アスベスト大阪地裁判決

2016-05-01

建設アスベスト大阪地裁判決の報告

弁護士 高橋早苗

1月22日、建設現場での石綿建材により、石綿関連疾患にかかった建設作業従事者らが、国と建材メーカーに対し損害賠償を求めていた建設アスベスト訴訟の大阪地裁判決がありました。東京地裁、福岡地裁に次いで、三度国の責任を認める判決でした。

本判決では、①昭和50年~平成18年の間防じんマスクを労働者に着用させるよう事業主に義務づけなかった点、②昭和50年~平成18年の間警告表示を石綿建材や現場に掲示するよう製造業者や事業主に義務付けなかった点、③平成7年~平成18年の間、青石綿、茶石綿だけでなくクリソタイル(白石綿)の製造等禁止をしなかった点について、国の違法が認められました。このうち、①及び②については、大阪地裁に先行する判決よりも長期の32年間にわたる国の違法を認めました。また、③については本判決で初めて違法が認められたものでした。

このように、本判決は国の責任を一歩進めた点では評価しうるものの、建設作業従事者の多くを占める「一人親方」については労働関係法規によっても建築基準法によっても保護の対象ではないとして国の責任を認めませんでした。建築現場では労働者か一人親方かで変わることなく、同じ作業に同じように従事しています。今回、労働者か否かを多少緩やかに判断したために労働者と認められた原告もいますが、そのようなさじ加減ひとつで、一人親方にも労働者にもなり得るような曖昧な違いしか労働者と一人親方との間にはないのです。

また、企業について本判決は原告らの主張にもまともに向き合うことなく、十分な検討をしないまま、結論ありきでその責任を否定しました。被告企業らは、石綿の危険性を認識しながら、企業利益のために石綿建材を流通させました。企業の製造・販売という加害行為があったからこそ、これだけ広く石綿建材が建築物に使用され、建設作業従事者の被害が広がることとなったのです。企業の責任は重大であり、その責任を否定する本判決は不当としか言いようがありません。本判決の1週間後に出された京都地裁判決が企業の責任を認めたことからしても、その不当性は明らかです。

本件訴訟は2011年7月に原告17名(被害者は10名)で提訴し、その後順次追加提訴を行い、判決時には原告33名(被害者は19名)となりました。本判決では、一人親方や国の責任期間の問題などから7名の被害者について請求が認められませんでした。提訴から判決までの間に、4名の本人原告が亡くなっています。当初は裁判期日や集会等にも意欲的に参加していた方々が、徐々に家から出られなくなり、あるいは入院しそして最期を迎えてしまうことは、本当にやるせなく悲しいものでした。このような現実を目の当たりにし、よりいっそう石綿建材の使用を推進し、放置してきた国と企業への怒りが込み上げてきました。建築作業従事者の石綿被害についての国の責任、そして企業の責任を正しく認め、原告、そして全ての石綿被害にあった建設作業従事者が救われる判決を勝ち取れるよう、控訴審でも力を尽くして戦っていきたいと思います。

鉄鋼落下の労災事故で損害賠償請求訴訟に勝訴しました

2014-07-18

「鉄鋼落下の労災事故で損害賠償請求訴訟に勝訴しました」

弁護士 喜 田  崇 之

【はじめに】

建設現場で鉄鋼が足に落ちて怪我をした事故で、雇用主、現場監督企業等3社に対する損害賠償を認める判決を勝ち取りました。

【事案の概要】

原告Xさんは、建設会社Y1の従業員として、川の改修工事に従事していたところ、鉄骨が右足の指付近に落下する事故に遭いました。Xさんは、作業時に安全靴を履いておらず、右第1、第2趾末節骨解放骨折等の傷害を負いました。その後、労災申請をしたところ、11級8号が認定されました。

Xさんは、Y1社の他、改修工事の受注会社であり現場を指揮するY2社、Y2社から本件工事を下請し、Xさんに様々な作業指示をしていたY3社に対して、損害賠償請求訴訟を提起しました。

【判決内容】

判決は、「(会社は)常日頃、従業員に対して、安全靴の着用を指導していたとしても、従業員が足に危険を及ぶ可能性のある作業現場で安全靴を着用していない場合は、当然従業員に安全靴を着用させるべき義務があるといえるから、本件事故の発生について、原告に安全靴を履かせるべき注意義務違反が認められる」と述べ、本件でY1社の注意義務違反を認めました。

また、同様に、雇用先ではないY2社と、Y3社についても、「Xとの間に特別な社会的接触の関係に入ったもので、信義則上、Xに対して安全配慮義務を負う」と述べ、Y2社、Y3社の責任も認めました。

なお、本件では、一審判決後、Xさんと会社との間で、判決を前提とした和解が成立しました。

【最後に】

Xさんは、相談にお見えになった当初、会社に対する損害賠償ができるかどうか半信半疑の状態でした。事故態様に関する客観的な証拠に乏しく、また、Y1~Y3社の現場作業員が、Xさんが認識する真実の事故態様と異なる証言をすることがほぼ間違いない状況だったからです。また、Xさんは、安全靴を履いていなかったことについて自分の落ち度もあるのではないかという思いもありました。

労災事件において、原告側に客観的証拠が乏しいケースや、会社側が真実と異なる事故態様を主張してくることはよくあることです。限られた証拠の中で、丁寧に労働安全衛生法、同施行令等違反の法論理の主張や、ときには裁判所を活用して間接事実を積み重ねていくことが重要になります。そして、過去の判例や弁護士の持つ経験則・技量等を十分に活用し、原告の請求の正当性を訴えていくことになります。

労災事件は高い専門性が要求される分野の一つだと思います。ぜひ、一度、ご相談下さい。

信濃運輸労災事件

2005-02-26

信濃運輸労災事件 弁護士 河村 学

1 事案の概要
 被災者は、昭和60年頃から、信濃運輸株式会社に、トラック運転手として勤務していた。しかし、平成12年5月29日、鳥取から東京への運送中、右脳高血圧性内包出欠及び脳空穿破を発症して意識障害に陥り、一命を取り留めたものの右大脳に機能障害が残った(第1発症)。また、その後、平成14年3月16日には左脳の脳内出血を発症し、重度の意識障害が生じた(第2発症)(平成16年1月21日症状固定)。
 被災者の労働実態としては次のようなものであった。
① 被災者の業務は東京と鳥取を往復する往復する長距離運転であった。具体的には、東京で、午後6時頃から翌午前1時頃までトラックの積み込み作業を行い、その後、東京を出発して約8時間トラックを運転し、午前9時40分頃から、鳥取で積み卸しを午前11時頃まで行っていた。また、鳥取では、午後4時頃から午後7時頃まで積み込み作業を行い、その後、鳥取を出発し、午前4時頃から東京と千葉で荷下ろしをして午前9時頃に仕事を終わるというサイクルであった。
② 被災者は、このサイクルで、月12~13往復していた。これを元に労働時間を計算すると、月13往復とした場合、月337時間労働というとてつもない長時間労働を行っていたことになる。このような業務を約7年間にわたって継続して行った結果、生じたのが本件の第1発症であった。
③ 第1発症以降は、約5ヶ月弱入院した後通院治療を継続し、平成13年6月から福祉施設で軽作業に従事していたところ第2発症が生じた。
④ なお、被災者に同居の家族はなく、東京と鳥取に居所を持って両地で生活していた。また、被災者には高血圧の持病があったようである。

2 弁護団の取り組み
 第2発症後の被災者の兄が相談に来てこの事件を取り組むことになった。被災者は意識障害が生じているので、まず、兄に被災者の後見人となってもらう手続を行い、その審判を受けた。
 その後、東京の本社に証拠保全をかけた。ただ、保全の半年前に、被災者の業務部門が分社化しており、その事業所移転の際に、保存期間の経過した書類は廃棄処分されてしまっていた。その結果、給料明細表はその写しの提出を受けたが、その余の労働実態を証する書類については、ほとんど手に入らなかった(会社にはタイムカードもなかった)。
 そこで、弁護団では、支払明細上記載の「高速代」の金額から東京・鳥取の往復回数を割り出すとともに、かつての同僚(東京・鳥取を被災者とは反対に往復していた)の聞き取りを行い、作業実態・作業時間についての詳細な陳述書を作成した。
 また、被災者が入・通院した病院への聞き取りや、第1発症後就労した福祉施設への聞き取り等を行い、第1発症と第2発症との因果関係の立証準備の活動を行った。
 さらに、これらに加えて弁護団で調査した自動車運転者についての労働省告示や、医学書籍なども参考に意見書にまとめて監督署に提出した。

3 江戸川労働基準監督署長の認定
① 本件労災申請に対して、監督署長は、労災であることを認め、障害等級を9級とした。
② まず、本件では持ち込みトラックという形式をとっている点で被災者の労働者性が問題となりうるが、本件ではこの点は問題視されなかった。これは会社が被災者にトラックを売り、その代金を会社が売上から差し引くというもので、全く形式的な取扱に過ぎなかったこと、また、会社の被災者に対する支払明細には「給与」として支給がなされており、また、社会保険や雇用保険にも加入していたことなどの事実から労働者性が認められたものであると思われる。
③ また、認定の内容としては、第1発症を労災事故とし、第2発症との因果関係は否定した。
 その理由は、第1発症については、被災者自身に高血圧の持病はあるものの、長時間労働が行われていたことは明らかであり、その負荷が発症に起因すると認められる。第2発症については、右脳の障害が原因で左脳の機能を低下させその障害を引き起こすという因果関係は医学的知見から認められない。左脳の障害は高血圧の持病に起因するものと考えられるというものであった。
④ さらに、認定等級については、第1発症後に身体障害者等級6級の認定を受けている点を参考に、9級の認定にしたとのことであった。

4 若干のコメント
 本件では、持病の高血圧ないし基礎疾病としての自然的憎悪による高血圧と労働負荷との関係をどう見るか、第1発症と第2発症との因果関係をどうみるかが最大の争点であった。
 この点、認定では第1発症を労働負荷によるものと判断したのだが、この判断には、異常な過重労働を7年間にもわたって継続してきたという事実が大きく影響していると思われる。すなわち以前から高血圧症があったとしても、それ自体が過重労働の結果であって、労働と離れた体質やその他の要因による高血圧症は存在しないという判断である。
 ただ、そのように考えれば、第2発症を過重労働と因果関係なしと捉えるのが妥当だったかについては疑問が残る。確かに、第1発症から第2発症までは1年10ヶ月の期間があり、その間に軽作業にも従事しているという事実があるが、他に何らの発症要因は存在しないのである。とすれば、第2発症は、たまたま発症が遅れたに過ぎないのであって、過重労働との「距離」に目を奪われて因果関係なしとするのは妥当でない。問題とされるべきは、第1発症と第2発症との因果関係ではなく、過重労働と第2発症との因果関係である。

じん肺をなくす闘い

1995-04-15

じん肺をなくす闘い 弁護士 上山 勤

1970年代、青年法律家協会は隠された労災職業病の発掘と称し、人類最古の職業病じん肺の実態調査に入った。大阪でも研究会が開かれ、各地の労災病院へ患者訪問をするなどの活動が取り組まれた。そのような取り組みの中で西森善信さんとめぐり合った。
 高知県の葉山村出身。若い頃から出稼ぎでトンネル工事に携わり、四国の土讃線・山口の岩日線などのトンネル工事や黒部ダム建設に従事した。1980年にじん肺と診断された西森さんは、すでに面談したときには酸素ボンベで呼吸をしている状態であった。まだ学生の3人の子供がいるのに、御自身は「つながれた牛みたいなもんです」と自嘲される状態であった。上山と正木みどりは西森さんの自宅を訪問し、お話を聞きながら、何とかしなければという思いに取りつかれた。1986年、ハザマ組と鉄建建設を被告として損害賠償の訴えを提起。裁判を進める中で、同郷の出身者片岡丑吉さんからはがきをいただき、これまたじん肺患者さんで、しかも患者同盟のために尽力していること、裁判を自分も起こしたいとの連絡をいただいた(これ以外に高見勲さんも提訴し、大阪の弁護団は3件のじん肺訴訟を抱えることとなった) 。
じん肺は、粉塵を吸入して発症する不治の病であるが、実際に発症するまで長年月を要する。従って西森さんの場合でも、昭和30年代の当時の状況を20年後にあれこれ調査を進めるという困難があった。当時の同僚に仕事の実態の話を聞くために、何度も高知県に足を運んだ。
1994年2月、西森さんについては大阪地裁で、翌3月には片岡さんについて神戸地裁姫路支部で、それぞれ和解が成立した。しかし、西森さんは1987年に、片岡さんは1990年に、いずれも53歳の若さで死亡し、勝利的な和解の報に接することはなかった。勝利を喜びながらも同時に口惜しさを噛み締め、改めて人々の命を犠牲にして成り立っている鉄道や発電所の存在に胸が熱くなった。事務所では上山、正木のほかに斉藤真行・井上直行が参加した。以下は事務所ニュースの一部抜粋である。

 「西森さん・片岡さん。貴方たちはなによりも自分の体で真実を語っておられました。1日のうち5分ぐらいしか現場に現れない保安要員が、ぺらぺらと語る事実を見事に粉砕する真実の重みを体現しておられました。裁判の勝利の日をともに手を握って喜び合うことができないのがとても残念でなりません。まだ53歳という年齢で家族と永別せざるを得なかったことは本当に口惜しいことであったことでしょう。でも多くの支援する人たちや残された家族が勝利報告集会に駆けつけ、あなた方の勇気と誠実と頑張りを胸に刻み、じん肺根絶にむけた決意を新たにしました。あとは私たちにバトンを預け、安らかに眠ってください」

アクセス

地図

大阪市北区西天満4丁目4番13号 三共ビル梅新5階

地下鉄/谷町線・堺筋線 南森町駅
1号出口から 徒歩 約10分

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