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【論考】病院・介護施設での転倒事故防止と身体拘束

2022-06-03

【論考】病院や介護施設での転倒事故の防止と身体拘束

弁護士  上  山   勤

1 最近、介護施設や病院での転倒事故の相談に預かった。その中で、裁判にまでなってしまった病院での事例の中で学ぶものが色々とあったので、ご報告したい。

2 事案は、80歳台の高齢の患者が、立位の保持が困難となったので、脳の検査のためにある病院に入院した。入院の当日の夜、ベッドの柵を外して床に転倒している状態で発見された。これを受けて、病院側はベッドを低いものに取り替えて、センサーマットを設置し、ベッドから離れるとナースステーションでわかるように対処した。そしてベッドにRバーと呼ばれる、全部を引き抜くことはできないようなベッド柵に取り替えたのである。

ところが、翌日予定のMRI検査のさい、本人が暴れたため検査が中止となり、3日後の午前にはやはりベッドの上で座位になり、足をぶらぶらさせているのが発見され、看護師が車椅子に乗せて部屋の外に連れ出して監視下に置いている。そして、その翌日に事故は起きた。夕食後、前日のこともあり、部屋に留め置くことに不安を感じた看護師は、そのままナースステーションに車椅子に乗った患者をつけてきた。ステーションで働いていた看護師は3名、それぞれが仕事をしながら、壁際に車椅子を停めた患者を監視していたのであるが、たまたま誰もが直接は目視していない時間、車椅子から立ち上がった患者が前に転倒し、転倒した音で看護師が事故に気づいた、という事案である。

当直の医師は、脳のCTはとったもののそれ以外の検査などはしないで部屋に戻している。患者は、事故の二日後、発熱も二日間ほどあり、医師が右肺のパチパチというcrackle音を認めたため、レントゲンとCT検査をしたところ、肋骨の骨折が発見された。気胸も発見され、肋骨骨折の治療のため、患者は転医したが、その後長い寝たきりの入院生活が続き、同年の年末に某病院を退院後、施設で寝たきりの生活となってしまった。

患者とその家族は、病院に転倒防止義務の懈怠があったとしてその賠償を求めて訴訟が提起された。

3 争点
(1) この訴訟の争点は、病院側に、患者の車椅子からの転倒を未然に防止すべき注意義務違反があったかどうか、という点が大きなポイントであった。多くの医療過誤裁判や介護施設での転倒をめぐる裁判で、患者や利用者の転倒について、施設の側には責任があるのかどうか、という点、特に転倒の防止のために身体拘束は止むを得ないのではないか、との見解と、身体拘束は行うべきではないという見解が対立している。相当数の裁判例では、転倒防止のためには、一定の要件のもとで身体拘束もやむを得ない、という判断がなされている。そして、最高裁判所の過去の判断では三つの要件の存在を前提に身体拘束を認めている。本当にそれで良いのだろうか。

(2) 私は、身体拘束は、特別に必要性が高い場合しか認められない、と考える。理由は、そもそも拘束によって転倒を防ぎ得ないこと。逆に有害な事象を生じること。最近は国内外で、拘束しない看護や介護が支配的になってきており、多くの実践例や論文・意見表明がなされていることなどである。

4 病院側に過失(=落度)はあったのかの考察
(1) 結果発生回避に向けた手立てがとられなかったのか。

①結果責任的に考えてはならない こと
転倒・受傷という事態だけに着目して、これを防ぐことを金科玉条にして結果責任的に事態を考えてはならない。回避のための手立てによって侵害される法的利益にも光を当てる必要があるのである。
患者が車椅子から立ち上がって転倒し、肋骨骨折という傷害をこうむったのは事実である。しかし、そのことだけの責任を考えて、身体を預かっていた病院側に責任を取らせる、という結果責任追及の発想は誤りである。病院における身体の看護と検査・療養の作法に一般的・平均的な病院のレベルと比較して、特段の落ち度がなければ病院側を責めることはできないというべきである。不幸な事態ではあっても、それは病院側の責任と言うべきではなく、単に残念で不幸な事態であったと言うべきである。
②身体拘束というものの眺め方
老後生活の最大の不安である介護について、社会全体でこれを考え自立を支援するために2000年4月に介護保険制度がスタートした。それに伴い、高齢者が利用する介護保険施設等では身体拘束が禁止された。介護施設では、 1999 年 3 月31日に「指定介護老人福祉施設は、指定介護老人福祉施設サービス の提供にあたっては、当該入所者又は他の入所者等の生命又は身体を保護するため緊急やむを得 ない場合を除き、身体的拘束その他利用者の行動を制限する行為を行なってはならない。」という厚生省令で基準が示されてから、身体拘束は行なわれなくなってきている。
しかし、医療機関では依然として身体拘束が実施され、なかなか減少しない。看護職は、身体拘束は基本 的人権を侵害するものとして「してはいけない」と思いつつも「患者の生命と安全を守るため」 などという理由で、ジレンマに悩み苦しみながら、身体拘束を行なっている現状も報告されている。
医療機関では(精神病棟を除き)上記のような禁止通知は存在しない。  本件で問題となった車イスからの転倒という出来事は、病院と介護施設においてリスク管理という意味では何の違いも存在しない。高齢者福祉分野において介護保険指定基準においては11の具体的な行為が禁止の対象となっているがこの中に、「車イスやイスからずり落ちたり、立ち上がったりしないようにY字型抑制帯や腰ベルト、車イステーブルをつける」という項目がある。このような処遇をどう考えるのかが、まさにこの裁判では問われていた。

(2) 患者側の主張
①患者側の具体的指摘
患者側の具体的な指摘は、「安全ベルト」「車椅子ずり落ち防止マット」「車椅子用センサー」を装着すべきところこれを怠ったと指摘している。
②安全ベルト(拘束ベルト)の呼称について
車椅子に患者の体を固定するベルトのことであるがこれを安全ベルト、と呼ぶことは問題である。少なくとも実際に身体を車椅子にくくりつけるものであるから「拘束ベルト」と呼ぶべきであろう。
医療機器・医療器具販売メーカーの売却のための宣伝文句を利用するのではなく、直裁に身体拘束具あるいは拘束ベルトと呼ぶべきである。
③体制としての転倒防止策の存在  (委員会とマニュアルの存在)
1) 病院側では、転倒事故の防止に向けて、医療安全管理委員会、転倒転落防止委員会などがつくられ機能していた。
2) 転倒転落の防止のための取り決めの一つに「移動中は目を離さない、安全確保してから目を離す」といった決め事もなされている。そして、原則禁止されている身体抑制としては、「②転倒転落防止のためセンサーマット、ベッドや車椅子に胴や手足を縛る、③自分で降りられないよう壁付けでベッド柵二本を使用して固定、ベッド柵を4本付けてベッドを取り囲む、⑥車椅子からずり落ちたり立ち上がったりしないように腰ベルト()Y字抑制帯をつける、⑦立ち上がる能力のある人に、立ち上がりを妨げるような椅子などを使用する……」といった事柄が定められている。

④ 見守りとしてのナースステーションへの留め置き
患者をナースステーションに車イスの状態で複数名を留め置いた場合、見守りなのかそうでないのか、も争点となった。

(3) 考えるべき大切な視点
①車椅子の拘束ベルトは転落防止の効果はないこと
1) 病院や老人介護施設における最近の傾向として、そもそも身体拘束具を用いて車イスに患者をくくりつけたからと言って、転倒転落のリスクを減らせるとは言えないとして看護実践が行われる傾向にあり、そのような実践を反映もしくは下支えした意見表明や科学論文が増えている。

2) 拘束は転倒・転落を防止するためという。しかし、例えば全日本病院協会の作成報告書では、「身体拘束の実施の有無と、事故の発生頻度との間には特段の傾向はみいだしがたかった」「チューブ抜去や転倒転落による骨折といった事象の発生割合と‥‥といった身体拘束の被実施率との間には一定の傾向は見られず、身体拘束を行うと事故が増える/減るといった関係は見出しがたい、とある

拘束具の使用は転倒及び損傷の減少と有意に関連していなかったというのである。

厚労省作成の身体拘束ゼロへの手引きでも身体拘束による事故防止の効果は必ずしも明らかではなく逆に、身体拘束によって無理に立ち上がろうとして車椅子ごと転倒したり、ベッド柵を乗り越えて転落するなど事故の危険性が高まることが報告されているとある。
 カナダ厚生局薬品と技術部代表の「入院中の老人に対する身体拘束を避けること、医療的効果の振り返りとガイドライン」という論文によれば長期間にわたる看護の中で身体拘束が転倒を減少させているなんらの証拠を見出せないとしている。
②一連の報告の意味するもの
結局、これら一連の報告によれば、拘束をすれば転倒が防げるわけではない。拘束は、転倒を防ぐための有効な手立てとは言えないのである。
③< 国内の関係での論文など>
1) 「入院中の老人に対する身体拘束を避けること:医療的効果の振り返りとガイドライン」と題する論文によれば、「長期間にわたる看護の中で、身体拘束が転倒を減少させているなんらの証拠を見出せない」としている。
2) 東京都立保健科学大学の看護師らが連名で報告をしている「抑制(身体拘束)廃止による患者の変化」と題する論文の中では、「身体拘束は人間としての尊厳を深く傷つけ身体的にも肺炎・褥瘡・関節の拘縮などの弊害を生じること、研究によれば、抑制廃止により、転倒・転落が増加したという報告はなく、むしろ抑制の道具で死にいたったという報告もあって、必ずしも抑制が患者の安全を守るとは言い切れないこと、看護職は抑制が高齢者の安全を守る手段ではなくて、むしろ弊害を招く可能性が高いことを明確に認識することが重要である」と主張している。
3)  公益社団法人全日本病院協会作成の報告書(2016年3月に発表)によれば、「身体拘束ゼロの実践に伴う課題に関する調査研究事業」と題して、全国の2020の病院・施設にアンケートを行い、712の回答を得たとして分析と報告を行っている。大規模な調査研究といえる。
ここでも、身体拘束の実施の有無と、事故の発生頻度との間には、特段の傾向は見出し難いとしていて(6頁)、報告では椅子・車椅子からの不意に立ち上がろうとする行動について825人の回答例があって、Y時型抑制帯や腰ベルト、車椅子テーブルをつけるといった身体拘束の事例が22.7%で最も多かったとし(4頁)、身体拘束と事故発生との関係について、……一定した傾向は見られず、身体拘束を行うと事故が増える/減るといった関係は見出し難い(49)と報告している。
4) 厚生労働省作成の「身体拘束ゼロへの手引き」の中にも見ることができる。
身体拘束の実施の有無と、事故の発生頻度との間には、特段の傾向は見出し難いというのである(6頁)。手引きでは、身体拘束禁止の対象となる具体的な行為として11の項目が示されており、「車いすからずり落ちたり、立ち上がったりしないように、Y字型拘束帯や腰ベルト、車いすテーブルをつける」ことや「立ち上がる能力のある人の立ち上がりを妨げるようないすを使用する」ことを禁止の対象たる行為としている。
これらの拘束が及ぼす弊害を指摘した上で、仮に身体拘束によって転倒が減ったとしても、それは転倒を防止しているのではなく、本人を転倒すらできない状態にまで追い込んでいるという見方もできるとまで述べているのである。

5) これら一連の研究や報告がさし示している結論は、車いすからの急な立ち上がりや転倒を防ぐ目的で22.7%程度実践されている腰ベルトやテーブルの使用といった車イスでの身体拘束が、事故の減少に役立っているとは言えないという結論であり、逆に拘束することによって、患者の身体・生命に危険をもたらしたり、自主的な意欲を奪ったりしていることが認められるのである。

④国外の関係での論文など
老人の看護と転倒事故の問題は、海外の施設でも日本と同じように、問題視され議論されているが、結論は日本での報告と同じである。
1)     米国老人医学会雑誌に1994年に発表されたJohon F. Schnelle外作成の『虚弱老人の安全評価』と題する論文によれば、身体拘束されている利用者と拘束されていない利用者の安全性や認知機能についての比較研究を行なったとしている。身体拘束あり群(108名)と身体拘束なし群(111名)との間において車イスへの移乗と歩行の安全性を評価、結果に差があるかどうかを比較した。その結果、二つの評価基準でともにグループ間に有意な差が認められ、身体拘束あり群が移乗・歩行の安定性、認知機能ともに低かった。身体拘束が転倒を抑止するというデータは存在しない。他方で、身体拘束をされた人達の方が、拘束されていない人達に比べ、より頻回に転倒するという複数のデータは存在している。身体拘束をされている人達は、拘束をされない人達に較べて転倒リスクが増加しているかもしれないのである、と報告されている。
2)     同じく米国の看護施設での実態についての論文であるが、『何故私たちは老人に身体拘束するのか』と題する論文によれば、「老人に対する身体拘束は、1999年から2004年の間、看護施設では41%~64%で、病院では33~68%で行われていた、としてその実態は車椅子での拘束についてはテーブルつきの椅子とベルトが最も多いと報告されている。拘束具の使用によって逆効果というべき、転倒とか、プレッシャーによる悲嘆とか鬱になるとか、攻撃的になるとの報告がされてきており、このような逆効果の事実と身体拘束が転倒を抑止するに十分な方法ではないという証拠が積み上がっているので、将来に向けた調査の勧告がされている、としている。
3)     スペインのナーシングホームでの転倒リスクに関連した身体拘束材の使用についての論考『ナーシングホームにおける転倒リスクに関連した身体拘束材使用』によれば、ナーシングホーム(看護施設)に居住した65歳以上の居住者を対象に行った2009年2月から2013年9月の間における575例の転倒事例について、身体拘束(PR)の使用と転倒リスクとの関連を分析している。身体拘束を伴う転倒と伴わない転倒との間で損傷に差は認められなかった。拘束材の使用は、転倒および損傷の減少と有意に関連していなかった、とある。

4)   厚生労働省の「身体拘束ゼロへの手引き」の中でも、外国での身体拘束廃止の方向性と実践が紹介されており、ペンシルバニア大学のEvans博士やStump博士らが「老人抑制の神話」と題して、転倒に対して、身体拘束が効果的であるという科学的な裏付けは全くない、としていることを紹介している。

⑤転倒・転落を阻止するための患者拘束は少数派であること
以上みてきたように、病院や看護施設・介護施設において、老人などの車イスからの転倒を防止する目的で2割から4割程度で腰ベルトやテーブルを使って患者を拘束している実態があることは認められるものの、まずそのような拘束を実施する施設は割合的に少数であることがいえ、次に、患者に対して拘束ベルトを使用したからと言って転倒・転落事故の減少や防止につながるとは言えないといえる。
このような思想は国内外で共通しており、昔から無意識的に行ってきた身体拘束による転倒予防効果などというものは神話に過ぎないのである。

(4) いかなる努力と注意をしても防げない転倒・転落のあること
①転倒・転落というものの見方
 近時いかなる努力と注意義務を果たしても避けられない転倒が存在する、という認識が広がってきている。群馬大学保健学研究科小山晶子ほか作成の論文によれば、身体拘束が原則禁止となった介護施設では、施設高齢者についての情報を多角的に把握し共有することが大切であるとして、一般病棟で転倒予防のケアを行う場合、高齢者は廃用症候群が容易に進行しやすく、それはADLの低下に直結すること、事故が起きて裁判となれば医療機関に対して予見義務と注意義務が厳しく求められるが、いかなる努力と注意義務をはたしても避けられない転倒が存在する、としている。必ずしも、「これこれこうすれば、転倒・転落を防ぐことができた」とは限らない、と言う認識なのである。
②老年症候群という見方
同様に、2019年6月に発表された医療事故調査・支援センターの「医療事故の再発防止に向けた提言」の中では、「高齢者において転倒転落リスクは、様々な原因により発生する老年症候群の一つである。したがって、完全に予防することは不可能である」としている(28頁)。
同じく、2021年6月に発表された日本老年学会と全国老人保健施設協会の共同のステートメントでも、「転倒リスクが高い入居者については、転倒防止策を実施していても一定の確率で転倒が発生する。転倒の結果としての骨折や外傷が生じたとしても必ずしも医療・介護現場の過失による事故と位置付けられない。」と述べているところである。
③加齢による転倒事故はゼロにできない
公益財団法人全国老人保健施設協会の作成した意見表明では、「高齢者の転倒は疾患(老年症候群)である」というタイトルで、「厚生労働省の統計によると、老健施設を含む介護の入所サービスで発生した事故258事例のうち、転倒・転落・滑落が77.9%と、圧倒的多数を占めていること、転倒を増加させる主な疾患と病態は、認知症、視力障害、内耳障害、脳梗塞・大脳白質病変などであるとし、どうすれば高齢者の転倒は予防できるのかの議論の大前提として、「高齢者の“転倒”は疾患(老年症候群) である」との共通認識を、我々医療・介護従事者と世間一般がもつことから始まるとしている。」転んだ場所によって誰に非があるか、責任の所在を争うような議論は不毛であると喝破し、高齢になると、人は加齢によるさまざまな機能低下やそこから生じる弊害により、転倒のリスクからは逃れられない。残念ながら、転倒事故をゼロにすることは不可能だ、と述べられている。この意見表明は2020年2月に発表されている。
④小括
以上見てきたように、車椅子のベルトによる患者の拘束は、本当に転倒転落を防止しうる効能を有さない、と言う点と、転倒事故は、老人の場合は不可避に発生するケースもあると言わざるを得ない状況がある。

(5) さらに拘束ベルトは逆に重大事故の発生のリスクも生じること
①拘束ベルトで身体拘束することで患者の精神に影響を与えて譫妄を引き起こしたり、車椅子のベルトに起因する死亡事故を引き起こす事例の報告がある。
拘束ベルトの使用は、決していい事ばかりではないのである。
②結局、車椅子からの転倒・転落の防止という狙いは勿論受け入れられ同意できるのであるが、だからと言って、安直に拘束ベルトを使っての車椅子への縛り付けは決して推奨されるものではないというべきであろう。

(6) 車イスへの移乗時間の問題

どのぐらいの時間、どのような環境でといったことも考察される必要がある。

5 最高裁判所の判決(三要件)に引き寄せての検討では
(1) 枠組み
最高裁判所は、「入院患者の身体を抑制することは、その患者の受傷を防止するなどのために必要やむを得ないと認められる事情のある場合にのみ許容されるものとして、①切迫性 ②非代替性 ③一時性の要件を満たすときにのみ、身体拘束の実施を容認している。この点からの検討を試みる。

(2) 切迫性について
①本件事故に先行して発生していた事象、「ベッドから転落する事故を起こし、MRI検査時にも暴れるなどの体動があったこと、本件事故の前日にベッドから起き上がろうとしていたことなどの事情」を踏まえると、患者を一定時間車椅子に移譲させる場合には、転倒転落のリスクを避けるために、拘束ベルトの使用など、切迫性の要件を満たす状況であったと言えるか。言えない、と私は考える。
1) 病院側の体制
まずもって、病院側としても制度的な枠組みとして、患者の身体抑制をせざるを得ないような状況が発生しうることは認めた上で、厳格な要件を定めている。何が何でも拘束はしない、といった硬直した姿勢を取っているわけではない。
2) 本件患者でいえば、転倒により肋骨骨折をきたし、血気胸になっていることが判明してトロッカーカテーテルが挿入された。この時点では、患者は挿入した管を抜去したりしないよう、やむなく両手にミトンをつけられ、自由に動かせないよう拘束された。もちろん、この時の身体拘束は手順を踏んで家族の同意も取り付けて行われている。この時が原則禁止とされる拘束の例外であったのである。
3)    切迫性の判断は具体的に
切迫していた、と言えるためにはその切迫の程度についても考察が加えられる必要があると考える。単に、転倒の恐れがあったというのでは足りないと考える。転倒といっても、その態様やそれに伴う受傷の恐れ、程度なども含めて当該の患者の当該のシチュエーションではどうなのか、が判断されなければならないというべきである。

②切迫性の程度について
1)  生命の危機に直結するような事態との比較
例えば点滴について、「チューブ関連インシデント・アクシデントの頻度と予防」と題する林泰広らの論文によれば、ドレーンチューブ類の1409件のインシデント・アクシデントのうち、「自己抜去」が群を抜いて多いこと(3408頁)、トラブルのあと濃厚な処置や治療を要したのは54件で、うち46件は気管内カテーテル及び気管切開カニューレのものであった事実(3409頁)、気管カニューレのトラブルは直ちに致命的となること(3410頁)など緊迫の程度が極度に高い事実が明らかにされている。同様に杉野圭三医師の「甲状腺外科における医療安全と危機管理」の中で甲状腺外科に特有の問題点として術後の合併症として「気管カニューレ抜去、テタニー」をあげており(13頁)、術後早期の気管カニューレ抜去は極めて危険であり、再挿入は困難なことが多いこと、気管カニューレの抜去はガーゼ交換・喀痰吸引・体位変換時に起こりやすいとし、カニューレ抜去は極めて危険であることをスタッフ全員が認識すべきである(同14頁)、としている。
このように大変危険で命の危機に直結する気管カニューレの自己抜去を防ぐための身体拘束は、単に転倒・転落を防ぐという場合に比べ、格段に切迫性が高いというべきである。 2) 窒息による死亡という命の危機に直結する場合と、一般的な転倒・転落は死傷という重大な結果を招くものから擦過傷的な軽微なものまで幅が広い。その必要性(重みといってもよい)に違いがある、というべきである。

③釣合の原則も考えられるべき!
1)  直接には切迫性という概念には含まれないかもしれないが、結局必要やむを得ない、と判断されるためには、「釣り合いの原則」と言われる条件も具備されることが必要であると言わざるを得ない。そもそも、身体の拘束、という患者にとっての不利益を実行するからには、それを上回る利益をもたらすことが見込まれることが必要だ、という考えである。これは、外科医による患者の人体に対する侵襲が許されるのはその外科手術によって何もしない状態に比べてより大きな価値を患者にもたらしうるから違法性がない、とされるのと同じであり、当たり前のことなので最高裁判所の判決に細かく判示していないだけのことである。
本件の事例に引き直して考えれば、車イスに移譲した患者の身体を拘束することが、そのことによって生じる患者の不利益=「より重大な転倒リスクを引き起こす場合もあるという危険」とか「患者の自由を侵害し、精神的なダメージを加えることにより人としての尊厳を損なう」とか「廃用が進行するきっかけとなる」、といったマイナスの効果よりも、確実に大きな利益=「転倒・転落の防止」をもたらすことが必要だ、という考えである。これが釣り合いの原則といわれるものである。
釣り合いの原則からの考察。拘束が車椅子からの転倒・転落・受傷と言った事態から患者を守るというなんの証明もないこと、前述した通りである。科学的なエビデンスもない。事実上旧来からの取り扱いによって主張しているのみである。そして、いまや、車イスからの転倒を防ぐ手立てとして腰ベルトを使用する施設は少数なのである。
逆に何が失われるのか、を考えると、
ア  患者が、転倒したりして受傷すれば、どうしてもそこに目が行きがちでなぜ防ぐことができなかったのか、という議論になる。それは、往々にして結果責任を追及することになりがちだ。しかし、身体拘束をすることによって目に見えにくい患者に対する侵害も 発生している。抽象的に患者のことを考えてはならない。「人権侵害」と取りまとめてしまうと、実際にはその深刻な中身が置き去りにされていき、抽象的議論へと向かいがちである。身体拘束の必要性を考える際には、受傷や出血 と同じぐらい具体的なイメージでもってその拘束の非人間性が理解されていなければならない。
イ  身体的なダメージに関し、肺炎・褥瘡・関節の拘縮といった弊害が生じると述べ、研究によれば倒転落が増加したとか死亡したなどという報告もあって、抑制が高齢者の安全を守る手ではなく、むしろ弊害を招く可能性が高いことを 認識することが重要だ、とする報告がある。身体機能や心理状態を悪化させ、高齢者のQOLを根本からそこないかねない、と説いている。  患者を拘束することは単に倫理的な問題を超え て、認知症周辺の症状の悪化・関節の拘縮・筋力の低下・心肺機能の低下・ 死亡率の増加など肉体的なダメージをもたらすことを指摘する意見もある。厚生労働省作成の身体拘束ゼロの手引きによっても、身体的な弊害として関節の拘縮、筋力の低下、食欲の低下、心肺機能の低下、抵抗力の低下などをもたらし、「高齢者の機能回復」という目的と正反対の結果を招くとしている。

④老人の場合の廃用の進行、ADLの低下
a 本件の患者の場合、高齢の老人であるからじっとしているだけで廃用は進行する。廃用症候群の中には筋萎縮や誤嚥性肺炎があり、その原因としては「過度に安静にしたり、あまり体を動かさなくなると筋肉がやせ衰え関節の 動きが悪くなるといわれている。そしてそのことがさらに活動性を低下させて悪循環をきたしますます全身の機能に悪影響を与える、」とされている。
 老人が入院をし、のちに退院をした場合、退院時の歩行能力低下に影響する要因は「ベッド上生活日数」「症状持続日数」「身体拘束日数」であり、各変数の日数が1日伸びるごとに歩行能力低下の危険率が高まるともいわれている(「急性期病院における内科疾患を有する高齢患者の退院時の歩行能力低下に影響する要因」の86頁)。結局、身体拘束は歩行能力を奪うのである。
b    気力の喪失
実践のなかで多くの報告がなされている。長崎県看護職員の経験談。「Aさんは車椅子から滑り落ちないように安全ベルトに括られていたが、隣の幼稚園の声が聞こえる、立ち上がろうとすることに気づき、なんとか幼稚園のそばまで行けるようにというケア目標を立てた。リハビリを経て今は、なんとか、垣根ぎわまで杖で行けるまでに回復した」、と。
安全優先で危険回避の方法として不本意ながら拘束を行なっていた。話し合いをすると「外して転倒した場合に誰が責任をとるのか」と言われるとなかなか外せない。だんだんと無表情になっていくお年寄りを見ているのは自分も辛い、と述べている。
c 患者の人権・人としての尊厳・家族の気持を傷つける
端的に、認定看護師だよりという書面は「質問です。皆様は、大事な人がしばられていることをみつめることができますか?」という問いかけで始まっている。そしてそこでは、無表情であった拘束された患者が身体抑制が解除されたあと、笑顔がみられるようになった、という報告が上がっている。
d 精神的なダメージ
実際に拘束を体験した患者の次のようなセリフが最もよくその持つ意味を伝えてくれる。ある老人曰く「私は自分が犬になったように感じ、夜中、泣き明かしました。この経験を話すだけで泣けてきます(涙)。病院は牢獄よりもひどいところです」(厚生労働省作成の手引き )、とある。

4) 医療従事者の健全な精神・モラルも傷つけたり感性を鈍らせたりする結果を生む。患者の身体を拘束することは、看護師になった時の志(看護職の倫理綱領前文にある「人々は、健康で幸福であることを願っている。看護は、このような人間の普遍的なニーズに応え、ひとびとの生涯にわたり健康な生活の実現に貢献することを使命としている。……看護職は、免許によって看護を実践する権限を与えられたものである。看護の実践にあたっては、人々の生きる権利、尊厳を保持される権利、平等な看護を受ける権利、などの人権を尊重することが求められる。同時に専門職としての誇りと自覚をもって看護を実践する。」)を損なう。拘束は本来看護師が持っていた志を曇らせ自身も傷つく結果となるのである。

5)    結局、守られるものと失われるものを考量した場合、釣り合いの原則から考えても車イスに括る行為が、必要やむを得ない、などと評価できないのである。

(3) 非代替性について
①判断の際、標準的な医療現場での対処の形も参考にされるべきこと
1)   どのような施設であっても、常時監視を継続することは不可能である。
そのようなことを実現しようとすれば、一対一の対応が必要であり、さらには看護師など監視をする立場の人間も休憩の時間などが必要なことからすれば、患者の数以上の看護師もしくは補助職の職員が必要ということとなり、不可能な想定である。社会的な真実はゼロか100ではなく、その中間にも宿るはずである。
2) 身体拘束といった段階に進む前に何をやるべきかという場合、過失の有無の判断に直結するのであるから、押さえるべき基準としては標準的な医療機関でどのような対処がなされているのか、という点が大切である。
この点につき、2016年3月に発表された公益社団法人全日本病院協会が全国の2020に及ぶ病院・介護保険施設・特定施設およびサービス付き高齢者向け住宅に対して行ったアンケートに基づいて発表した「身体拘束ゼロの実践に伴う課題に関する調査研究事業」と題する報告書によれば「見守りのしやすい場所に移動してもらう」といった手立てを取る病院が一般病棟では94.9%(89.5%)、地域包括ケア病棟などが97.2%などとなっていることがわかる。
大切なことは、日本の他の病院・病棟・施設でも、拘束をしない選択をする現場が圧倒的に多いことである。
3) 本件事件に引き直して言えば、他の病院でも行っているように、事故を防ぐ目的でかつ、拘束をしない状態で何をするかと考えた時、監視の目の多い場所への患者の移動を行うことは、合理的であり、かつ、標準的な措置であるというべきである。ナースステーションに連れて行くということは、病室に留め置いておくことに比べれば、相対的に監視の目が厚いことは疑いがない。
以上の点から明らかとなったように、最高裁判所の三要件の検討を通じても、本件事案は身体拘束を認めうる必要やむを得ないと認められる事情のある場合とまでは言えないものである。

6 結論
今後、看護や介護の現場で転倒などの不幸な事故が発生した場合、「誰の責任だ」という角度からの考察は、特別にイレギュラーな対応がないかぎり横に置かれるべきである。落ち度がなくても転倒は発生するからである。

                               以上

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