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【ウクライナからのメッセージ】I don’t want to die !=死にたくない!

2022-07-20

I don’t want to die ! = 死にたくない!   ウクライナからのメッセージ

弁護士 佐々木 正博

「こんな生活は耐えられない。 砲弾が飛んで来ないよう日々祈るのみ。いったい、これは何のためなのか、ただ普通に暮らしていただけなのに…。生活はめちゃくちゃだ。」

これは、2022年7月5日、ウクライナ東部ハルキウ市に住む男子大学生(アントン、18歳)から届いた切実なメッセージです。ロシアによるウクライナ侵攻後、ハルキウ近辺では一時ロシア軍を押し戻していましたが、6月下旬頃からは、砲撃や空襲の警報が昼夜問わず鳴り響いており、事態は悪化しています。

メッセージをくれたアントンは、ハルキウにあるノーベル賞受賞者を複数名輩出したことのある名門大学で歴史を学ぶ学生です。2022年2月24日までは、彼は、毎日勉学に励み、家族やペットのチャーリー(犬)やヴァーシャ(猫)とともに、平凡な暮らしの中で人生を楽しんでいました。

ところが、2月24日、彼の生活は一変します。以下は、彼が寄せてくれたメッセージをもとに、彼の言葉で彼の経験した事実を紹介します。

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私は2月24日のことを昨日のことのように覚えています。思い出すだけでぞっとします。

その日の夕方、私は弟と過ごし、夜は普通に就寝しました。危険な気配はどこにもありませんでした。眠っていると、突然、爆発音が聞こえました。私は、当初、雷が鳴り始めたのか?くらいに思い、気に留めませんでした。しかし、突如、家の壁が揺らぎ始め、これは雷なんかではない、戦争だ、と悟りました。私が両親の部屋に駆け付けると、両親も起き上がっていました。テレビではまだ何も報道されていませんでしたが、インターネット上では、「ウクライナがロシアに攻撃された」とのニュースが出回っていました。

家は揺れ始め、本当に恐ろしかったです。戦争が始まってすぐ、私は家の中の重要書類や食べ物、飲用水などを集め始めました。しかし戦争開始当初は、何も機能しておらず、食べ物も医薬品も手に入りにくい状況でした。

地下シェルターを開けたのは戦争が始まって3日目でした。私たちは、この戦争がすぐに終わると考えていたからです。

3月初めから半ばにかけて、私は1日のうち10時間以上、多い時で14時間もシェルターの中で過ごしました。シェルターにいれば、家が砲撃を受けても生き延びることができます。なので、すぐにシェルターまで走って逃げられるように、夜寝るときも靴を履いたままです。私たちは、今も、このような生活を送っています。ロケット弾は私たちの頭上を飛び交っているのです。

忘れもしない4月11日は最悪の日となりました。この日は、砲撃のほか、上空の爆撃機からの空襲もありました。ロシア軍は私の住むエリアに爆撃を仕掛けてきました。一般市民の住宅が砲撃され、私の隣の家は、完全に破壊され、その付近は砲弾の破片が散乱していました。この時、私が昨年卒業した高校も砲撃を受け、生徒が死亡しました。亡くなったのは、私も知っている子でした。若者だけでなく、年配の方も亡くなりました。

その日、私たち家族は、当面必要なものだけかき集め、安全な場所へ避難しました。安全といっても、自宅からそう離れているわけではありません。森の陰になる場所で、自宅よりいくばくか安全というだけで、今後も砲撃を受ける危険はあります。

いまは、近隣でよく砲撃を受ける地域の方々や動物たちの安全を祈らずにおれませんし、私自身や私の家族が生き残ることができるよう祈るほかありません。この状況は今も続いているのです。

私は3月生まれで、今年の18歳の誕生日は地下シェルターでお祝いしましたが、とても寂しいものでした。食べ物が手に入らない状況で食事を取れない日が続いていましたが、家族は数個のキャンディーで私の成人を祝ってくれました。今日も私たちは、不安と恐怖、そして食糧難の中で暮らしています。

短い夏が終われば冬の足音が聞こえてきます。ウクライナでは、冬期の気温は、摂氏マイナス25度まで冷え込みます。もし、ロシア軍が発電所を攻撃すれば電力も供給されなくなり、私たちは冬に暖を取ることもできなくなります。そうなると、私たちは、上着を着こんで耐え忍ばなければならなくなります。考えただけでも恐怖です。この戦争で辛い思いをするのは、非力な普通の市民なのです。

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彼は、現在、大学の定期試験を終えたところです。大学の講義も試験も全てオンラインになりましたが、空襲警報がひっきりなしに出ているさなかにも、ウクライナの方々は日々生活を送っています。物価が高騰し、配給は滞り、食料や飲料水を買いに行こうにも砲撃を受けて死んでしまう危険と隣り合わせの日々にあります。多くの人々が失業し、収入もないのです。どのようにして生きていけというのでしょう?

女性やこども・老人は、隣国などに避難することも可能です。しかし、18歳から60歳までの男性には、ウクライナから出国する自由すら認められていません。どのようにして生きのびろというのでしょうか。

アントンは、歴史学部の学生です。彼が興味を持って勉強している分野は、ウクライナ通史のほか、日本通史、蒋介石時代の中国史などです。彼は、将来、大学で研究者になることを志望しています。戦争が起こらず、順調にいけば、おそらく、成績優秀な彼は、歴史学者として研究成果を残し、ハルキウ大学で教鞭も取っていたことでしょう。

しかし、アントンの家庭は、両親がこの戦争により失業したことにより、経済的に不安定な状況にあります。それでも、アントンは、近日中に、次年度(9月)からの大学の学費を支払う必要があります。もし、学費を支払えなかった場合は退学となり、最悪の場合、徴兵されます。家族全員が食べるものにも事欠く経済状況の中で、食費と学費のどちらを支払うかを迫られているのです。待っているのは、飢え、もしくは従軍後の命の危険、そのどちらかしかありません。読者の皆さんがアントンの立場に立たされた時、どちらを選びますか…。

アントンから、日本の徴兵事情について質問を受けたので、日本国憲法が戦争を放棄していることを伝え、憲法9条の条文を英訳したものを読んでもらいました。

アントンからは、叶うことなら日本に永住したい…と返事がきました。

憲法9条が私たちに保障してくれているものは、今の私たちの目に見えにくいかもしれません。

しかし、これまでの自分の生活をことごとく破壊され、まさに今この時も、お腹を空かせ、命の危険と隣り合わせで、戦時下に暮らしているアントンには、憲法9条の重みが伝わったようです。

日本に住む我々が軍事支援を行なえないことは、たしかにもどかしく感じられるかもしれません。しかし、私たちが気づいていない憲法9条の価値に、ウクライナのアントンは目を留めてくれているのです。

私たちは、「他国の戦争」という事実には目を向けなくても生きていくことはできます。ただ、「他国の戦争」が「他国の」だけでは終わらない危険もある、憲法が改正された場合、その内容如何によっては、私たち自身が戦時下を生きなくてはならなくなるかもしれないということを再認識する必要があります。

また、今回、アントンとの交流を通じて、困窮している戦地の方々へ、行ないうる範囲での持続可能な支援を行なっていくべきであると思うにいたりました。

アントンとは、毎日、メッセージのやり取りを続けています。一時、丸二日間、音信不通になった際には別れを覚悟しましたが、何とか無事でいることが確認できました。

今後も、アントンからの最新状況を踏まえた続報を発出していきたいと考えています。

以上

 

カテゴリー: お知らせ, 平和 

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