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日本国憲法誕生のころ

2017-01-06

日本国憲法誕生のころ                             弁護士正木みどり

日本が引き起こした侵略戦争の犠牲者は、アジアで2000万人と言われている。日本国民も300万人以上の命が失われた。明治憲法は、天皇が絶対的権限をもつ天皇主権で、国民は臣民でしかなく権利もまともに保障されなかった。特に昭和に入ると、うかつなことを言えば逮捕され、死刑もあり、非国民扱いもされた。与えられる情報も国によってコントロールされた。
1945年8月15日、日本は、ポツダム宣言(「民主主義と基本的人権を確立し平和な政府をつくること」を日本に求めた)を受諾して、敗戦をむかえた。多くの国民は、ようやく暗い時代が終わる、「ホッとした解放感」をもった。衣食住の確保におわれる大変な生活が続いたし、戦争で大切な人を失ったつらさ等を抱えつつ。
近代憲法は、民主主義(国民主権)と人権保障を2大柱とする。明治憲法は、近代憲法とは言えないものだった。国民の間では、自由と民主主義を求め、新しい憲法を求める声がわきあがった。民間人の作った憲法草案も20を越えたという。

ところが、ポツダム宣言受諾にもかかわらず、日本政府は、GHQ(連合国総司令部)に憲法改正の必要を示唆されて「憲法改正要綱」を作ったものの、明治憲法の表現をほんの一部変えただけで、本質は全く変えなかった。そのため、GHQの民政局が憲法草案をつくり(その際、上記の民間人の作った憲法草案も参考にされたという)、日本政府に渡した。この経過をもって「おしつけ憲法」論を唱える人がいる。しかし、この経過は、約束したポツダム宣言も国内世論も無視した時代錯誤の日本政府の姿勢が招いたものである。しかも、後述の国会審議を経てできた日本国憲法は、国内外の憲法の最高の到達点(例えば「個人の尊重、幸福追求権」など)と、世界の最先端の内容(徹底した平和主義など)をもりこんだものであり、日本国民に支持されたものである。
1946年3月、日本政府案が公表された。4月10日には、戦後最初の総選挙、そして、日本国憲法を先取りして日本で初めて女性が参政権を獲得した男女平等の普通選挙が行われた。投票率72%、39人の女性議員が誕生した。
この新しい国会で、約4ヶ月間、日本国憲法草案が熱心に審議された。国会審議で新たにつけ加えられた重要な条文や文言もある。たとえば、政府案では「主権」という言葉がなかった。議会内外で大きな争点となり、衆議院の修正で、憲法の前文と1条に「主権が国民に存することを宣言し」などの条文が書き込まれた。たとえば、憲法9条は、その趣旨を明確にするため1項に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文章が加えられた。たとえば、25条の「生存権」規定は政府案にはなく、新たに明記された。このような熱心な審議を経て成立。

1946年11月3日、日本国憲法として公布され、翌年(1947年)5月3日施行されることになった。いろいろな法律が、日本国憲法に合わせて、改正されたり新たに作られた。新し憲法、日本国憲法は国民に歓迎され支持されたのである。
なお、憲法公布の日から約1ヶ月後、国会議員や学者、ジャーナリスト等で「憲法普及会」が組織され、憲法施行の日、小冊子「新しい憲法 明るい生活」2000万部が全国の各世帯に配布された。新憲法について「私たち日本国民は、もう二度と再び戦争をしないことを誓った。これは新憲法の最も大きな特色であって、これほどはっきり平和主義をあきらかにした憲法は世界にもその例がない。本当に平和な世界を作りたい。このために私たちは陸海空軍などの軍備をふりすてて、平和を守ることを世界に向かって約束したのである。…」と説明している。また、同じ1947年8月、文部省発行の中学1年生の教科書「あたらしい憲法のはなし」でも、平和主義、基本的人権、国民主権について説明している(この教科書は数年で文部省は廃止した)。

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「あたらしい憲法のはなし」の中の挿絵。1947年8月2日発行(文部省)

カテゴリー: 平和 

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