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井阪運輸株式会社の運転手の闘い

2004-01-01
井阪運輸株式会社の運転手の闘い

弁護士 上 山  勤

(2004年1月1日関西合同法律事務所ニュースより)

1、(突然の合理化計画の発表)
会社は西宮に本社があり、各種運送業を行っている。この事件は会社の阪南営業所で起こった。ここでは主に、不二製油(食用の油を扱う会社)の油をタンクローリー車で運ぶのが中心の業務であった。従業員は現業が二十一名でこのうち14名が運輸一般、4名が交通労連、一名が全港湾、あと二名は組合未加入という状態であった。折りしも、メインの取引相手の不二製油がバブル時代に行ったマネーゲームで137億円の損失を出し、取引先や下請けに対してそのお鉢を回そうとしてきた。これを利用して井阪運輸は94年、1人当たり8万円の減収になるような合理化案を打診してきた。組合側は勿論激しく反発をする。合理化を必要とする経営状況を裏付ける生の資料は組合側の要求にもかかわらず示されないままであった。
2、   96年3月、会社は労務屋「片岡利夫」を営業所長として招請、最後まで合理化案に反対していた運輸一般の組合員に対する激しい組合攻撃が始まった。手始めは露骨な配車差別であった。運輸一般の組合員には配車をしないのである。走って何ぼの運転手。仕事を干し上げられて職場待機が3ヶ月間続いた。当時のことを組合員は振り返る。『3ヶ月間月給が3万円ぐらい、娘は大学生、家中の貯金を食いつぶし妻はパートに出てがんばった。』『収入がないのに健康保険料・年金保険料・市民税などは支払えといってくる・・・1人でいるともう止めようかなと何度も思った』等々。収入は減ってもローンの支払はあるし借入金の返済は猶予してもらえない、みんなが不安に包まれた。

長く苦しい戦いが始まった。3ヵ月後には組合員にもすこしづつ仕事が与えられるが非組合員に比べて近場の仕事が多く、差別的な配車は続いた。まして組合役員に対してはその後も苛烈な差別が続く。そして、個別に組合脱退をそそのかしたり、当該の組合員労働者がいかに不真面目で素行が悪いかということをいろいろと書き連ね、悪くすれば職場がなくなってしまうかもしれないなどという趣旨の手紙を自宅の家族に送って動揺を促すなどあの手この手の干渉が続いたのである。解決まで七年を要するのだが、3人は職制のいじめで、3人は生活苦から職場・組合を去っていった。そして1人は病気によって死亡、3人が定年で退社していった。

 

3、組合は配車差別に対抗するため、差別を止めろと地労委に提訴。同時に最低賃金保障協定に基づいて、保証賃金の支払を求めて岸和田の裁判所に提訴。2年後には保証協定との差額を支払えと岸和田支部の判決が出た。

会社は協定がある以上は勝てないと考えこの地裁判決を確定させたが同時に労組法に基づいて期限の定めのない状態であったこの協定の正式な破棄を通告してきた。しかし、根拠を示さない合理化案とこれに抵抗する組合を狙い撃ちにした配車差別、このような事態が先行していた上での協定破棄であるから、会社の意図はあくまで組合に対する敵愾心にこそあったのである。組合側は、こんな協定破棄は無効だとして再び、訴訟を堺の裁判所に起こした。

合理化が嵐のように進められる風潮の中で、協約(会社と組合との書面による約束)が一方的に破棄されたり、変更されたりする事態は巷に横行している。だから弁護団も勝てる確信はなかった。しかし、差別的な配車が違法であることは明確だから協約の判断で負けても違法行為の損害賠償は認められるだろう。結果はおなじだ、そんな気持ちでがんばった。ガンで闘病生活をしておられた(故)本多淳亮先生には鑑定意見書を書いていただいたりした。

2001年5月、堺支部は組合側全面勝利の判決を言い渡す。協約の破棄については『通告は、不当労働行為による分会の弱体化を促進するために、その手段としてなされたと認めるのが相当である。従って廃車差別と不可分なものとしてなされた、被告による一方的な本件協定の破棄も不当労働行為にあたるので無効というべきである。』と判断された。その後も地労委・中労委の勝利が続いたが、会社は不服申立をして粘り続けた。組合は職場だけではなく、会社役員宅への抗議行動も繰り広げたが、これに対し役員の妻たちを動員した迷惑行為を理由とした損害賠償訴訟の逆提訴なども行われた。相変わらず差別は続き、慣例であった出前弁当の注文を組合員には取り次がないなどという子供じみたいじめも行われた。東京から朝帰りをして連続で構内作業を命じられた運転手は弁当がなければその日一日食事にありつけないという事態になってしまう。
4、 差別攻撃から7年。最高裁でも敗れた会社はついに、2003年4月17日に裁判外で和解をし、組合は戦いに勝利する。
所属は運輸一般から全日本建設交通一般労働組合に変わっていた。
そして14人の仲間は4人になっていた。この数字が攻撃の厳しかったことを示していると思う。
勝利した後での勝利報告集会が未だに争議を戦っているたくさんの地元の労働者
を励ましたことは言うまでもない。4人の組合員は口々に言う。
家族が励ましてくれた。負けてたまるかという気持ちで頑張った。何度も何度も止めようかなと思った。
・・・でも、それらをひっくるめて支えあって勝ち取った勝利だった。

カテゴリー: 労働 

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