ポスター貼り弾圧とのたたかい
弁護士 松本 七哉
1.
休日に、家族と買物に出かけようとするところに、突然、事務所の弁護士から電話がかかってくる。「此花区で逮捕者が出た。
連絡がつくのはお前しかおらん」。このようにして弾圧事件への対応が始まる。ブーイングの家族をなだめて、スーツに着替え、
逮捕者がいる警察に急行する。
2.
さすがに、かつてのような大がかりな弾圧事件は影をひそめた(それでも、2003年の衆議院選挙であった、国家公務員が
休日にビラ配布をしただけで逮捕された堀越事件のような例もあるが)。現在、最も多いパターンは、共産党や民主団体が行う
ポスター貼りに対して、軽犯罪法や屋外広告物条例を根拠に行ってくる逮捕である。
同期の弁護士に、この話をすると、今どきそのような差別的、政治意図にもとづく逮捕があること自体、信じられないと驚く。
しかし、一時期、毎年1月15日の成人の日には逮捕者が出たり、我々が逮捕直後に警察に駆けつけると、4〜50人の警備
警察が物々しい警戒線をはり、大阪府警の公安が陣頭指揮を取っているなど(このようななかで、例の篠原事件は起こった)、
彼らが準備をして行っているものであることは明らかである。彼らの意図は、逮捕により運動の足を止めることにあり、まさに
これは「弾圧」なのである。
このようにして起こった弾圧事件(事務所の弁護士が対応したもの)は、以下のとおりである。
1986年 1月15日、城東区で1名が軽犯罪法で逮捕
8月22日、城東区、2名、軽犯罪法
11月26日、北区、1名、屋外広告物条例、2日間拘束
1987年 3月10日、高槻市、3名、軽犯罪法、3日間拘束
3月18日、高槻市、2名、屋外広告物条例、1日間拘束
1988年 2月16日、都島区、1名、軽犯罪法、3日間拘束
1989年 2月5日、城東区、2名、屋外広告物条例、5時間拘束
3月5日、東淀川区、3名、軽犯罪法、屋外広告物条例、3時間拘束
4月8日、此花区、1名、軽犯罪法、9時間拘束
12月30日、高槻市、1名、屋外広告物条例、25時間拘束
1990年 1月13日、城東区、1名、軽犯罪法、6時間拘束
2月4日、高槻市、3名、屋外広告物条例、3時間拘束
5月26日、北区、1名、軽犯罪法、7時間拘束
11月12日、高槻市、2名、軽犯罪法、屋外広告物条例、4時間
1991年 1月20日、西淀川区、1名、屋外広告物条例、2時間拘束
2月3日、島本町、1名、軽犯罪法、屋外広告物条例、12時間
2月24日、鶴見区、2名、軽犯罪法、24時間拘束
10月23日、此花区、1名、軽犯罪法、4時間拘束
1992年 6月25日、大淀区、2名、軽犯罪法、5〜25時間拘束
6月27日、淀川区、1名、軽犯罪法、8時間拘束
1993年 10月16日、城東区、2名、軽犯罪法、3時間拘束
1994年 1月9日、此花区、2名、軽犯罪法、3〜6時間拘束
1月15日、北区、4名、軽犯罪法、4〜46時間拘束
9月11日、東淀川区、2名、軽犯罪法、2時間拘束
1997年 1月15日、旭区、1名、軽犯罪法、6時間拘束
1998年 2月11日、福島区、3名、軽犯罪法
3月19日、此花区、2名、軽犯罪法、4〜6時間拘束(これが、別に述べる篠原国賠事件が起こった事件である)
10月1日、北区、1名、 軽犯罪法、19時間拘束
1999年 1月30日、西淀川区、2名、軽犯罪法、2時間拘束
3月8日、西淀川区、2名、軽犯罪法、25〜28時間拘束
この20年間で、大阪府下で起こった弾圧事件は、100件を超えるが、うち約30件を事務所が担当した。2000年以後も、
大阪全体では10件の事件が発生しているが、事務所の担当地域では発生していない。98年末に篠原国賠訴訟を提起したこと
と何らかの関連があるかもしれない。
3.
逮捕後、「被疑者」と接見できるのは弁護士しかいない。我々は、被逮捕者と接見をし、被逮捕者を励まし、今後の予想される
事態を説明するとともに、状況の判断を行う。基本的には、氏名も含む完全な黙秘をアドバイスするが、事案によっては、早期
の釈放を優先しなければならないし、上記の堀越事件のように関連先の家宅捜索も行われることがある。
完全黙秘のまま、逮捕当日に釈放を勝ち取ることができればベストである。
被逮捕者とともに、支援者の拍手に迎えられながら、警察の階段を降りていくのは弁護士冥利につきるものである。