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[行政]に関する記事

大阪市立大学の統合問題を考える会

2016-11-12

大阪市立大学の統合問題を考える会が、「豊かな大学像を育むために‐ここが問題!『府大・市大の統合』」のパンフレットを発行しました。

「大阪市立大学と大阪府立大学の統合」とは、2011年12月のダブル選挙(大阪府知事選・大阪市長選)に、勝利した橋下徹大阪市長が、「二重行政」の典型と攻撃して推進したものです。2015年5月17日大阪市住民投票で「大阪都構想」が否決され、いったん頓挫したのですが、2015年12月のダブル選挙(大阪府知事選・大阪市長選)で、大阪維新が勝利して、またぞろ息を吹き返してきています。

パンフレットは、桜田照雄阪南大学教授の講演をまとめたもので、「大阪市立大学と大阪府立大学の統合」の問題点を明らかにしています。

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18歳から選挙に参加できるようになりました

2016-05-01

18歳から選挙に参加できるようになりました

 

弁護士 河村 学

 

1 18歳からの選挙権

昨年、公職選挙法等が改正され、満18歳、19歳の方も選挙等ができることになりました。もちろん選挙運動も行うことができます。対象となる選挙は、国政選挙・地方選挙だけでなく、最高裁判官裁判官の国民審査、住民投票なども含まれます。

何時から選挙ができるのかについては、ややこしい定めがなされていますが、おおざっぱにいえば、この改正法が施行される今年6月19日以後に初めて行われる国政選挙の公示日からということになります。

この夏には参議院議員選挙があるので、おそらくこれが最初に参加する選挙となりそうです。

 

2 18,19歳の世論調査

新聞各紙は、この改正を受けて、18,19歳を対象に世論調査を実施しました。4月8日に行われた朝日新聞の世論調査では、興味深い結果が出ています。

まず、憲法やその平和主義に関する思いは強いということです。調査では、憲法9条を変えないほうがよい(74%)、今の憲法はよい憲法(59%)、変える必要はない(57%)など、憲法を擁護し、平和を求める声が大きいという結果が出ています。ただ、集団的自衛権行使容認・安全保障関連法については、賛成41%・反対50%でした。

また、政治や社会に対する不信感が強く、希望が持てない社会になっているという認識も強く現れました。例えば、政治家は若い人たちのことを考えて政治しているとは思わない(80%)、若い人たちが自立しにくい社会だと思う(82%)、年金制度は自分の老後のあてにならない(76%)、などです。

貧富の格差について、今の社会は努力しても報われない社会(56%)、今の格差は行き過ぎ(59%)などが多数を占め、また、格差があるのは社会の仕組みによる面が大きい(59%)が、本人の努力による面が大きい(34%)を上回ったことも特徴的でした。社会の矛盾を体感し、多くの若い人たちが今の政治や社会のあり方に問題があるとみているようです。

一方で、今の政治や夏の参議院議員選挙には「あまり関心がない」「全く関心がない」(併せて58%)、若い人たちのデモに共感できない(48%。共感できるが41%)、一票に政治を動かす力はない(53%)など、社会に矛盾や問題を感じながらも、自らの力で変えていくという意見が少ないことも気になりました。

 

3 自らの未来を自らの手で

若い人たちも、現在の政治や社会の矛盾を感じており、自由で平和な世の中を望んでいます。現在の若者の未来を閉ざそうとする政治や社会のあり方には批判的意見を持つ人がかなりいるといえるでしょう。

ただ、それが実際の政治的行動に結びついていないという現実があります。先の世論調査では、仮に今、投票するとすればどこに投票するかという質問では、46%が自民党と答えていますが、今の安倍政治が現実に進めているのは、憲法9条を含め憲法を変えて日本を海外で戦争する国にしようとしたり、大企業を優遇する一方、社会保障を切り捨て、格差を広げたり、若い人たちに対して、労働者派遣をはじめとする使い捨て労働や、保育・介護職・サービス業などの低賃金労働を強いたりするというものです。安倍政治は、若い人たちの思いとは真逆の施策を進めているのです。

若い人たちが現に置かれている状態、実際に体験している事実と、安倍政治とのつながりを十分に知らせ、若い人たちの選挙をはじめとする政治的行動につなげることがとても大切です。

先の世論調査では、自分のことを大人だと思わない(83%)、選挙について自分でしっかりと判断できるという自信がない(68%)など、選挙権が与えられることに対する不安も大きいことが示されました。

しかし、選挙は、自らの自由で平和な人生を楽しむため、そのような社会を子どもたちに手渡すための重要な手段です。周りの人に流されず、見聞を広げ、自分の感性や周囲の人を思う気持ちを頼りに、選挙に参加して欲しいと思います。

建設アスベスト大阪地裁判決

2016-05-01

建設アスベスト大阪地裁判決の報告

弁護士 高橋早苗

1月22日、建設現場での石綿建材により、石綿関連疾患にかかった建設作業従事者らが、国と建材メーカーに対し損害賠償を求めていた建設アスベスト訴訟の大阪地裁判決がありました。東京地裁、福岡地裁に次いで、三度国の責任を認める判決でした。

本判決では、①昭和50年~平成18年の間防じんマスクを労働者に着用させるよう事業主に義務づけなかった点、②昭和50年~平成18年の間警告表示を石綿建材や現場に掲示するよう製造業者や事業主に義務付けなかった点、③平成7年~平成18年の間、青石綿、茶石綿だけでなくクリソタイル(白石綿)の製造等禁止をしなかった点について、国の違法が認められました。このうち、①及び②については、大阪地裁に先行する判決よりも長期の32年間にわたる国の違法を認めました。また、③については本判決で初めて違法が認められたものでした。

このように、本判決は国の責任を一歩進めた点では評価しうるものの、建設作業従事者の多くを占める「一人親方」については労働関係法規によっても建築基準法によっても保護の対象ではないとして国の責任を認めませんでした。建築現場では労働者か一人親方かで変わることなく、同じ作業に同じように従事しています。今回、労働者か否かを多少緩やかに判断したために労働者と認められた原告もいますが、そのようなさじ加減ひとつで、一人親方にも労働者にもなり得るような曖昧な違いしか労働者と一人親方との間にはないのです。

また、企業について本判決は原告らの主張にもまともに向き合うことなく、十分な検討をしないまま、結論ありきでその責任を否定しました。被告企業らは、石綿の危険性を認識しながら、企業利益のために石綿建材を流通させました。企業の製造・販売という加害行為があったからこそ、これだけ広く石綿建材が建築物に使用され、建設作業従事者の被害が広がることとなったのです。企業の責任は重大であり、その責任を否定する本判決は不当としか言いようがありません。本判決の1週間後に出された京都地裁判決が企業の責任を認めたことからしても、その不当性は明らかです。

本件訴訟は2011年7月に原告17名(被害者は10名)で提訴し、その後順次追加提訴を行い、判決時には原告33名(被害者は19名)となりました。本判決では、一人親方や国の責任期間の問題などから7名の被害者について請求が認められませんでした。提訴から判決までの間に、4名の本人原告が亡くなっています。当初は裁判期日や集会等にも意欲的に参加していた方々が、徐々に家から出られなくなり、あるいは入院しそして最期を迎えてしまうことは、本当にやるせなく悲しいものでした。このような現実を目の当たりにし、よりいっそう石綿建材の使用を推進し、放置してきた国と企業への怒りが込み上げてきました。建築作業従事者の石綿被害についての国の責任、そして企業の責任を正しく認め、原告、そして全ての石綿被害にあった建設作業従事者が救われる判決を勝ち取れるよう、控訴審でも力を尽くして戦っていきたいと思います。

育鵬社の歴史教科書問題

2015-12-13

  歴史教科書を読んで思うこと         2015/12
    弁護士 上 山  勤
1、大阪市教育委員会が育鵬社の歴史教科書を採用した。今後、多くの大阪市内の中学生が、この教科書で歴史を学ぶことになる。私は、この育鵬社の教科書の問題に関心は持っていたが、このたび支部での立場上のこともあって、団支部の担当者の人たちと一緒に、こんな教科書を採用しないでほしい、と申し入れに行った。そして行くからには読まないといけない。そこで買ってもらって読んだ。いろいろな問題意識が湧き上がってきたので報告したい。
2、 「休戦条件については、われわれは決して弱腰であってはならない。しかしながら、天皇の退位や絞首刑は、日本人全員の大きく激しい反応を呼び起こすであろう。日本人にとって天皇の処刑は我々にとってのキリストの十字架刑に匹敵する。・・・アメリカは状況を主導すべきであって、後追いするべきではない。時期を選んで、われわれは一方に天皇と日本人を、他方に東京の軍国主義ギャングたちを置き、両者の間にくさびを打ち込むべきである。」(ボナーズF・フェラーズ准将、マッカーサーの軍事秘書官)
これは、1944年段階で米国内で提出されていた報告書の一部である。マッカーサーは日本に進駐する際、すでに、戦争犯罪人を裁くというポツダム宣言の精神とは別に、日本統治の未来図の中での天皇の利用についてのこのような考えを持っていた。
 明治憲法によれば、主権は天皇にあり、天皇は統治権を総覧している。軍部をつかさどる統帥権については、天皇が直接これを保持し、議会や政府のコントロールは受けない仕組みで、宣戦を布告する権限も握っている。戦争犯罪人をさばくというのなら、本来、真っ先に天皇の罪責が追及されなければならない。しかし、彼は、起訴にすらならなかった。東京裁判では、A級戦犯をはじめとして、戦争犯罪人が裁かれた。しかし、最大の責任者である天皇の責任を問義すらされず、けじめがついたとは到底言えない。
中学校の歴史教科書、特に育鵬社のそれは、この天皇の戦争責任をどう説明しているか。歴史の流れの中で考察するため、○1明治維新(明治政府)の性格○2日露戦争○3満州事変、そして○4終戦を通じて眺めてみる。
3、○1の明治政府の性格について。
1867年「大政奉還」については「1867年10月、京都の二条城で、(徳川慶喜が)政権を調停に返すことを発表」と記述し、同年12月「王政復古の大号令」によって天皇を中心とする新政府を作ることが内外に示された。
1869年には薩・長・土・肥による朝廷に対する「版籍奉還」が行われ、他の藩もこの動きに従ったこと、藩とはその領土であり籍とはその人民であることを正しく記述している。つまり、土地と人民は朝廷(天皇)が「領有」する事態となったことを述べているのである。このような歴史把握からは、明治憲法の主権者が天皇であり、国民は人民ではなく「臣民」(君主制の下での支配の対象である者)とされていることの意味が実質的に理解されるであろう。政治の仕組みとしては絶対主義天皇制であったことを正しくつたえている。
 但し、「臣民」との表現は帝国書院や東京書籍の歴史教科書ではもちいられているものの、育鵬社のそれでは述べられていない。明治憲法においては、日本の歴史のなかで初めて国民の権利なるものが法文化された(臣民の権利義務)。このことを、肯定的に眺めるのか、現在までの歴史の流れの中で、当時の時代が抱えていた制限つきのものというように眺めるのかで、歴史を教えることの意味・目的が違ってこよう。
4、○2の日露戦争について
(1) 育鵬社の教科書は、この項目の書き出しで「ロシアの東アジアでの軍備増強をこのまま認めれば、わが国は存立の危機を迎えると考えた政府は戦争を決意し1904年2月日露戦争がはじまりました。」という。戦争に至った日本側の動機がロシアとの関係で述べられているだけである。後は、戦いの経過(旅順攻略・奉天会戦・日本海海戦などを紹介)とポーツマス条約の締結という終戦までを記述している。しかし、このような記述では、日本が韓国を併合する行為と併せて、帝国主義的な「他国への侵略」という側面がすっぽりと抜け落ちてしまう。中国との関係でどうであったのかについてなにも触れないのはおかしい。(2) 手元に日本・中国・韓国が共同編集した「未来をひらく歴史」という歴史教科書がある。それによれば、戦争の真のねらいは何だったのか、という章立てでまず日露戦争がどこで戦われたのかの戦場の地図を載せている。いくさ場はすべて韓国と満州(中国東北地方)であり、そのことが戦争の性格を端的に表していると指摘している。戦争のさなかである1904年5月の閣議決定で『日本は韓国に対して、政治上・軍事上・保護の実権をおさめ、経済上、ますますの利権の発展をはかる。』と決定している。目的が韓国の植民地支配の強化にあったことは資料から明らかである。鉄道用地や軍用地として土地を取り上げ、人・馬・食料を供出させたため生じた韓国での民衆の抵抗は厳しく弾圧されたとの指摘もある。
(3) かわって、育鵬社版の教科書はこの戦争を次のように評価する。「幕末以来、わが国の指導者や国民には、欧米列強の植民地にされるという根強い危機感がありました。しかし、この危機感は、日露戦争の勝利で解消し・・・また同じ有色民族が、世界最大の陸軍国ロシアを打ち破ったという事実は、列強の圧迫や植民地支配の苦しみにあえいでいたアジア・アフリカの民族に、独立への希望を与えました。・・・ネルーや・・孫文は・・・アジア諸国に与えた感動を物語っています」と。肯定評価ばかりである。(豈はからんや、戦後70年を記念して出された安倍首相の談話は冒頭に近いところでこのように言っている。『百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。』この日露戦争で土地や人を徴用された国のひとたちは歯ぎしりをする思いでこの安倍談話を聞いたに違いない。)
(4) 日露戦争は、育鵬社の教科書指摘のような効果を周辺の国々や日本国民にもたらしたかもしれない。しかし、合わせて、踏みつけにされた国があったこと、そして自国は世界の一等国だという思い上がりからアジアの他国に対する優越感を生み、ここから生じる差別意識が後々、隣国に対する非人間的な行為を遂行できる素地となっていったことの指摘はまったく見受けられない。安倍首相が同じベースで談話を語っているのは決して偶然の一致とは思えない。
(5) 勿論、日本の側に歴史的な下地としての思い上がりがあったことも忘れてはならない。くだんの教科書では明治時代での文明開化の必要性を強調する下りの中で、福沢諭吉は『学問のすすめ』を著し「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」と述べたと紹介され同時に「一身独立し一国独立す」との言葉も紹介されている。肯定の文脈のみである。しかし、本当のところ福沢は別の著作で、西洋は文明、アジアは半開、アフリカは野蛮と書き、日本は西洋を手本に文明化を図るべきだと強調したこと、日本はアジアの文明の中心、東洋のリーダーだからアジアを保護しなければならない、朝鮮が文明化を受け入れなければ、強制的に文明化して、西洋の進出を食い止めなければならない、とも主張している。1885年に発表された『脱亜論』では、朝鮮の改革派のクーデターが失敗したのを受けて、今後はアジアの文明化を進めるのではなくて、アジアとは縁を切って、に西洋諸国と同じやり方でアジア諸国の支配を進めるべきだとまで主張した。教科書は取り上げないが、上から目線の典型ではないか。
(6) ちなみに、育鵬社の教科書の宣伝を担っている「虹」というパンフレットは「日本って最低の国やな」という小学生の言葉を紹介し、教育基本法では「我が国と郷土を愛する」ことを教育の目的にしているのになぜ、真逆の教育が行われているのか、と従前の教科書の記述を攻撃している。この精神は安倍首相の言う愛国心と通じるものであろう。しかし、ロシアに戦争で勝ったから、白人に勝ってアジアの有色人種を励ましたから自尊心を持てというのだろうか。歴史の真実の片側だけを教えて教育することはまったくの虚偽を刷り込むことに等しい。東京書籍の教科書では、「国民の中には帝国主義国の一員となったという大国意識が生まれ、アジア諸国に対する優越感がつよまりました」と正しく指摘をしている。帝国書院のそれも帝国主義という言葉を使っている。
5、○3の満州事変について
(1) 育鵬社の教科書はいう。「中国では、国民党が中心となって日本の中国権益の回収を求める排日運動が強化されました。排日運動の激化に対し、日本国内では日本軍による満州権益確保への期待が高まりました。こうした情勢の中で、関東軍は問題の解決を図って満州の占領を計画しました。1931年9月、関東軍は奉天郊外の柳条湖の満鉄線路を爆破して中国軍の爆破と発表し、満州各地に軍を進めました。・・」歴史は、このあと犬養首相の暗殺と5.15事件、満州国の成立、リットン調査団の調査、国際連盟の脱退と続くが、育鵬社の教科書は一連の動きに対する評価をしない。軍部の独走と陰謀で戦火を招いたことに対する反省や、軍部のテロによって政党政治が終わったことについて一言の批判的言辞をのべないのである。都合が悪い歴史は淡々と、史実をのべるだけなのである。しかし、現在の憲法下で中学生は歴史を学ぶのであるから、現在の視点からすれば、このような行動は軍部の独走で許されず、シビリアンコントロールが効いていない不幸なできごとであると中学生にきちんと伝えるべきではないか。
(2) さらに言えば、事変に先立つ1927年6月に開かれた『東方会議』も重要である。田中義一内閣は強硬外交を推進し、山東出兵などをなしたが東京に閣僚・外務省首脳陣、中国公使、軍部首脳陣などを集めて、対中国政策についての方針を決めるための「東方会議」を開いた。会議では、日本の権益が侵される恐れが生じたときは、断固たる措置を採る、出兵も辞さない、満蒙における権益は中国内地と切り離して、同地域の平和のため日本が責任をもって支配下に置く、といった内容の『対支政策綱領』が政府の手によって決められてた。満州における石原寛治らは、このような政府の動きに敏であっただけというべきかもしれない。日本という国が、根本において、帝国主義的な侵略を進めていた、その部分に対する光は育鵬社教科書では当てられていない。しかし、このように突っ込んだ記述に至っては、他の教科書でも拾うことができない。
6、○4の終戦について
(1) さまざまな切り口がある。ここでは天皇の戦争責任について考察する。
最初に、8/15に行われた終戦の詔勅について、ポツダム宣言を受諾した旨を国民に告げたことはよく知られているがほかに何が述べられたのか。
ポイントは4つある。
1)他国の主権や領土を侵す気持ちは自分にはなかった。
2)原爆の使用もあって、無辜の民が殺され、このままでは日本民族のみならず人類の存続にまでかかわる。
3)自分の臣民で戦場や職務にて死亡したものや遺族のことを思うと身が引き裂かれるほどにつらく、傷や災禍を被ったものを思うと心が痛む。
4)国体を護持し今後の発展を期したい。
実際の言い回しは、次のようなものである。大切と思われる部分だけを引用する。下線は筆者が引いた。
『そもそも、帝国臣民の康寧(こうねい)を図り、万邦共栄の楽しみをともにするは、皇祖皇宗の遣範にして、朕の拳々措かざる所、さきに米英2国に宣戦せる所以もまた、実に帝国の自存と、東亜の安定とを庶幾(しょき)するに出で、他国の主権を排し、領土を侵すがごときは、もとより朕が志にあらず。』
『戦局必ずしも好転せず、世界の大勢また我に利あらず。  しかのみならず、敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻(しき)に無辜(むこ)を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る・・・しかもなお、交戦を継続せんか、ついに我が民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却すべし。』
『朕は帝国と共に、終始東亜の開放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして、戦陣に死し、職域に殉じ、非命にたおれたる者、及びその遺族に想いを致せば、五内(ごだい)為に裂く。かつ、戦傷を負い、災禍を蒙り、家業を失いたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念(しんねん)する所なり。・・・おもうに、今後帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず。爾臣民の衷情(ちゅうじょう)も、朕、よくこれを知る。しかれども朕は、時運の赴く所、堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、もって万世の為に大平を開かんと欲す。 朕はここに、国体を護持し、得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚(しんい)し、常に爾臣民と共にあり。』『宜しく、挙国一家子孫相伝え、かたく神州の不滅を信じ、任重くして道遠きをおもい、総力を将来の建設に傾け、道義を篤(あつ)くし、志操を鞏(かた)くし、誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらんことを期すべし。 爾臣民、それ、よく朕が意を体せよ。』
(2) さまざまな嘘とごまかしが、ここには認められる。そして、自分の臣民の犠牲に対してのみ思いをいたしているのは特徴的であり、安倍首相の70年談話と一脈通じるものがある。
育鵬社の教科書は戦争の終結の章を設け、ドイツの降伏、原爆投下とソ連の参戦、日本の敗戦と説明をしている。最後の項目では、御前会議で賛否が同数であったため天皇の判断を仰いだところ天皇は、ポツダム宣言を受諾し降伏するという外務大臣の案を支持したとある。天皇の戦争責任については一言も触れるところがなく、逆に、御前会議での言葉として『国体の問題に疑問があるというが、私は疑いたくない。それは、国民全体の信念と覚悟の問題である。私は自分がどうなろうとも国民の命を助けたい。日本がまったくなくなるより、少しでも種子がのこるなら復興する希望もある。』と自己犠牲的な大変に立派な言葉を述べたように紹介されているのである。これで終わってよいのだろうか。
 先に紹介をした「未来をひらく歴史」という歴史教科書によれば、東京裁判の章の中に「裁かれなかったもの」という項目を立て、『日本をほぼ単独占領したアメリカは裁判に大きな発言権を持ちました。天皇を利用して占領をスムーズに進めようとの方針から、天皇側近や政治家と結び「戦争責任は東条ら陸軍軍人にある」として昭和天皇の免罪をはかりました。官僚や財閥などの責任も問われませんでした。オーストラリア出身のウェブ裁判長が「戦争を行うには天皇の許可が必要であった。もし、彼が戦争を望まなかったならば、その許可を差し控えるべきであった」という異例の個別意見を発表しましたが、判決には生かされませんでした。』と記述している。歴史の真実のどこに光を当て、何を明らかにするのか、によって記述は変わってこざるを得ない。
(3) 天皇の敗戦の放送から6時間後、鈴木貫太郎首相がラジオ演説をしている。曰く『陛下は万民を救い且つ世界人類の降伏と平和に貢献すべき旨のご聖断を下し給うたのであります。陛下の御慈悲の光被こそ国体の護持そのものである』
この首相は、勝利を得られなかったことについて国民はことごとく陛下に『こころよりお詫び申し上げる』とも宣言した。手元の資料によれば、皇居でひざまづく国民が写った写真がある。敗戦を天皇に詫びているのである。鈴木首相の思惑=戦争を起こした理由は問わない、敗北の理由のみを語り、軍部の失策や国民の努力不足が敗因であるとして「天皇」に詫びる・・・というシナリオが功を奏しているのである。ここでは、悪者はまるで国民であり、軍人も国民も等しく天皇に対して詫びるべきだという構図がみてとれる。
(4) そもそも、天皇が同席の上で御前会議が開かれ、重要な事柄が決定された歴史がある。1894年に日清戦争を決定、三国干渉や日露戦争などに際しても対処方を決定し、1938年以後には日中戦争の処理方針、日独伊三国同盟、真珠湾攻撃などを決定した。天皇不在の御前会議は存在しない。一連の侵略戦争に深くかかわったと言われれば、否定のしようがないであろう(ほとんど発言しなかったことをもって天皇個人を免責する議論があるが、ロボットでもあるまいし、ナンセンスである)。真珠湾攻撃についても、天皇は、戦争準備、艦隊の展開、艦隊の任務、合衆国との外交交渉が瀬戸際で成功した場合に艦隊を引き上げる際の決定、開戦の時期といったことを承知し、命令を下していたのであり、米国との開戦についても責任はあるのである。
(5) 最大の戦争責任者が、裁判にかけられることもなく、特定の陸軍将校のみがA級戦犯として起訴・断罪された。しかも、巣鴨刑務所に身柄拘束中の他の戦犯容疑者も結局起訴されることなく次々と釈放されていき、政界への復帰が図られた。ここに、戦後から生まれた『日本無責任体制』の原点があるように思えてならない。ドイツの首相は、強制収容所犠牲者の碑の前でひざまずく。日本の首相は、東条らが祭祀された靖国に参拝し頭を垂れるが、慰安婦などについては存在を否定する。この違いについて、かっては国民性の違いなのかと愕然としたこともあったが違うのだ。政治的な思惑が正義を捻じ曲げて進行した結果なのだ。9月27日、天皇とマッカーサーは旧アメリカ大使館で二人だけで会見している。天皇が訪ねてきたとき、彼は不安で震えていた。これは、マッカーサーの軍事秘書官ボワーズが目撃をし、ニューヨークタイムスの記者も目撃しているとされる。しかし、会談終了後は「天皇は精神的に高揚した様子で明らかに緊張が解け、自身を取り戻していた」とされる(ジョンダワー、敗北を抱きしめて)。翌日、皇后は菊と百合の花束をマッカーサー夫人に送り、一週間後には、天皇から優美な蒔絵の文箱がマッカーサー一家に送られている(同文献)。中国革命が成功し、急速な占領政策の右旋回が、巣鴨刑務所の多くの戦犯を釈放せしめた。国外で多くのB級C級戦犯が処罰される中で天皇を含む本当の責任者が放免されていく構図こそ、日本無責任体制の始まりであり、巧妙に立ち回る人間が利得を受ける社会を創り出してきたのだとかんがえる。
7、まとめ 育鵬社の教科書は先に述べたように、天皇を犠牲的な精神に満ちた立派な人間としてのみ描き、戦争との関係で責任があったことをあいまいなままにしている。多くの犠牲が生じたことから反省を引き出すことは当然である。しかし、合わせて、何がよくなかったのか、戦争の惨禍を繰り返さないために何を学ぶべきなのかは、戦争の原因をどのように考えるのかを抜きにして論じることはできない。その点で、日本が過去行ってきた海外への侵略を「帝国主義的な侵略」ととらえることのできていない育鵬社の歴史教科書はこの点について欠格品である。日本が歩んできた歴史に対する真摯な考察がまったく欠けている。
しかし、天皇の戦争責任について触れた中学校教科書は見当たらず、その意味で、事柄の責任を明確にしない、曖昧な人生の予備群創出にすべての教科書が一役買っているのかもしれない。しかし、最大の戦犯を持ち上げるような記述がなされる育鵬社版教科書はまったく持って意図的で許し難い。

枚方生活保護裁判

2010-06-01

枚方生活保護裁判

 弁護士喜田崇之

 

平成22年2月23日、枚方市で生活保護の申請を却下された佐藤キヨ子さんという70歳の女性が原告となり、国に対して処分の取消と、損害賠償を求めて訴えを提起しました。この事件をご報告します。

 

1、 事件の概要

佐藤さんは、生まれつき股関節に障害を持ち、激痛が走るため長時間歩くことができませんでした。また、ちょっとした坂道があるだけでも、バランスを崩してこけてしまうのでした。

佐藤さんは、結婚して息子を生みました。その息子さんが小学校6年生のとき、卒業文集「『母の日』に考える」という題で次のような作文を書きました。

「お母さんは,いつまでもいつまでも生きていてほしい。」「今,こんなお母さんに,ぼくがしてあげられることは,何だろうと考えた。」「それは,お母さんが,一番ほしい物は,たぶん自動車・・・がほしいのだと思う。」「ぼくが,大きくなって買ってあげられるまで,まっていてほしい。」

これを読んだ佐藤さんは感激し、1年以上かけて自動車教習所に通い免許を取り、車の運転の練習をしました。そして、息子さんは、社会人になってついに念願の車を佐藤さんにプレゼントしたのでした。

以後、佐藤さんの生活は変わりました。毎日買い物へ行ったり、友人の家に行ったり、病院へ行ったりすることができるようになり、佐藤さんの世界は一気に広がり、性格もすごく明るくなりました。佐藤さんは今までにない充実した日々を過ごしていました。

ところが、平成18年6月、夫が大腸がんで亡くなり、佐藤さんは2カ月で約10万円の年金収入しかなくなりました。貯蓄が底をついたため、佐藤さんは枚方市に生活保護の申請をしました。

枚方市は、佐藤さんに車を処分するように強く指導しました。そして、一度は保護の受給を認めたのですが、佐藤さんが車を処分しないことを理由に、保護を打ち切りにする保護廃止決定を下しました。佐藤さんは再び申請をしましたが、それも却下されました。

佐藤さんの車には、財産的価値はありません。財産価値のない車を保有することがどうしていけないのでしょうか。

 

2、佐藤さんにとっての車の意義

股関節に障害を持ち、自由に歩くことのできない佐藤さんにとって、車は単なる移動手段というだけではありません。佐藤さんは、車を手にしたことにより、いろいろな方との交流を深めることができ、人格形成にとっても非常に重要な影響を与えました。障害を持つ佐藤さんが、これら人として当たり前のあるべき社会参加をするためには、どうしても車が必要なのです。

この裁判では、障害を持つ佐藤さんにとっての車の持つ重要な意義を、裁判所に訴えていきたいと思っています。そして、同じような境遇に置かれている方にとっても助けになるように、必ず成果を上げたいと思っています。

すべての肝炎患者救済にむけて~B型肝炎訴訟

2009-01-01

すべての肝炎患者救済にむけて~B型肝炎訴訟

弁護士 杉島幸生

 

 みなさんはB型肝炎という病気をご存じでしょうか。何かのきっかけで肝臓に住み着いたB型肝炎ウイルスが肝臓に悪さをすることにより発症する病気です。B型肝炎ウイルスに感染しても多くの場合は発症・悪化することなく治癒しますが、なかには肝炎から肝硬変・肝ガンと悪化する人もおり、そうなると命の危険にさらされることになります。不幸にしてこの病気になってしまった人は、いつ症状が悪化するかもしれないという不安や、治療のための経済的負担、薬による副作用、伝染力のある病気であることからくる社会的な差別に苦しんでいます(全国に約140万人の感染者がいるともいわれています)。

予防接種がB型肝炎感染源だった

 これまでB型肝炎のおもな原因は母子感染(出産時の母親からの感染)だと言われてきました。しかし、研究が進む中で母親がウイルス保持者ではないB型肝炎患者が多くいることがわかってきました。そうなると母子感染以外に原因があることとなります。そこで北海道にすむ5人のB型肝炎患者が国が実施した集団予防接種が原因であるとして国に賠償を求める裁判を起こし、2006年6月、国の責任を認める最高裁判決が確定しました。

 B型ウイルスは血液を通じて感染しますが、6歳ころまでの感染でないと継続感染することは少ないと言われています。とすると母親が感染者でなく幼少期に輸血の経験もない患者の体内に感染者の血液が入る機会は、集団予防接種以外に考えられません。戦前から80年代後半まで各地の集団予防接種では、注射器の使い回しが普通でした。その中に一人でもウイルスの感染者がいると注射器を通じて体内にウイルスが侵入してきます。国はそうした危険があることを充分に認識しながら注射器の使い回しを放置し、B型肝炎ウイルス感染者を万延させたのです。

抜本的対策を求めて集団提訴

 先の5人の原告は、最高裁判決が確定した以上、国が全ての肝炎患者の救済に向けた抜本対策をとるものと信じていました。注射器の使い回しは全国各地で行われていたのですから、予防接種によってB型肝炎ウイルスに感染したのが5人だけということはありえないからです。ところが厚労省は、その5人はたまたま予防接種で感染しただけとして抜本的対策(治療費の政府負担、被害に対する補償・生活援助、肝炎患者に対する障害者手帳の交付など)をいまだにさぼり続けています。

 厚労省がこうした態度をとる以上、新しい裁判を起こして全国に同じような患者がいることをはっきりさせる必要があります。そこで現在、約180名のB型肝炎ウイルス感染者が八つの地方裁判所に国に賠償を求める裁判を一斉に起こし、大阪でも9名の患者が原告となっています(2008年10月時点)。私もその弁護団の一人としてお手伝いをしています。ところが国はいまだに責任逃れの主張を繰り返しています。国に抜本的対策をとらせるためには、さらに原告を増やし世論で厚労省を包囲していなかくてはなりません。2009年2月13日には大阪地方裁判所で大法廷(202号)で第2回目の弁論が行われます。ぜひご支援ください。また条件のある方は原告にもなってくださいますようお願いします(提訴条件は以下のようになっています。①B型肝炎ウイルス持続感染者、②慢性B型肝炎発症から20年を経過していない、③1948年7月1日以降に集団予防接種を受けている、④1941年7月1日から1988年までの出生、⑤出生時に母親が持続感染していない、⑥7歳になるまで輸血していない-これは概要です。詳細はお問い合わせ下さい)。

 

八尾市立高安保育所廃止処分取消訴訟

2008-10-27

八尾市立高安保育所廃止処分取消訴訟
弁護士 河村学
1 事案の概要
本件は、八尾市立高安保育所の廃止条例が可決(2007年6月26日)されたことを受けて、これを廃止処分として、その取消を求めたものである。
八尾市は、待機児童解消と財政負担軽減を理由に、2005年度から、13箇所ある公立保育所のうち、5箇所の公立保育所を廃止し、これを民間園に引き継がせる計画を立てた。その一つとして選任されたのが高安保育所であった。
高安保育所は、昭和43年に設立され、八尾市の東側にある唯一の公立保育所として、地域住民に愛され、地域の保育・子育てセンターとしての役割を担ってきた。そこで、この廃止計画に対しては、父母、地域住民から反対運動が起き、条例を提出しない旨の要望署名には、入所保育児童世帯の90%、公立保育所廃止の影響を直接受ける児童の世帯の100%が署名し八尾市に提出された。また、同保育所廃止撤回を求める要望署名は8000筆を超えた。
こうした父母・地域住民の要望を無視し、八尾市自身、「今のところ我々の提案について(高安保育所の保護者に)理解いただいているとは思っていない」と発言する状況であったにもかかわらず、廃止条例可決が強行されたのである。
なお、八尾市は、その後、土地の無償貸与等を受ける法人を募集・選定した。現在は、選定された民間園が、保育園舎の建築にかかろうとしているところであり、2009年4月からの開園を目指している。

2 裁判の経過
廃止条例の取消訴訟は、2007年11月15日に提起された(原告は4世帯12名)。原告の主張は、①保護者の保育所選択権の侵害・児童の当該保育所で保育を受ける権利の侵害、②保育の実施解除に伴う意見聴取義務違反、③行政裁量の逸脱の3点である。③については、具体的には、A廃止の合理的理由がないこと、B保護者・児童の被る不利益が大きいこと(a継続性の切断、b保育の質の悪化(保育体制の問題、保育士の経験年数の差、保育内容の劣悪化、障害児保育の不十分、私立保育園の私的契約児問題、入所定員が増えることの問題)、c経済的負担の増大)、C保護者の納得を得ないまま廃止が決定されていることなどを挙げて、裁量逸脱があると主張している。
これに対して、被告は、保育の質は低下しない、保護者には十分に説明したということを抽象的に主張するにとどめ、その一方で、財政負担軽減のメリットを強調する立場をとっている(まるで財政効果があれば市の施策はすべて合理性が認められるべきであると主張するかのごときである)。なお、この手の訴訟では、通常、条例制定が抗告訴訟の対象になるのかという入口の問題が争われるが、本件では、八尾市はこの点を全く問題にしていない(この論点はこれまでの裁判例で既に克服済みの論点といえる)。
現在、原告は、保育の質の具体的内容を例えば、排泄・食事・外遊びなどの保育実践の中から具体的に抽出し、民間園との対比やその差異が生じる理由についての具体的な検証作業を行うとともに、学者の協力も得て、保育所選択権の中身や行政裁量をめぐる過去の裁判例の検討、財政問題の検討などを行っているところである。

3 保育所廃止処分をめぐる裁判の状況
保育所廃止処分をめぐる裁判の状況としては、しばらく請求を全面的に棄却する判決・決定が続いていたが、その後、大東市の事件で、原告らに対する配慮義務違反を理由に一世帯あたり33万円の損害賠償が認められ(大阪高裁平成18年4月20日判決。最高裁平成19年11月15日判決)、横浜市の事件で、廃止処分について行政裁量逸脱の違法を認めたものの事情判決とし、一世帯当たり10万円の損害賠償が認めた判決が出された(横浜地裁平成18年5月22日判決)。さらに、引き継ぎ期間が5日しかなかった神戸の例では、仮の差止を認める決定も生まれている(神戸地裁平成19年2月27日決定)。
ただ、いずれの判断も、手続的な違法・不十分を実質的な理由にしており、廃止処分の内容自体が違法とするものではなかった。自治体の側も、これらの判決を受けて、手続的には、例えば、引き継ぎ期間を長くとる、説明会を多数回開催する、などの手法をとるようになっている。そこで今後は、保育内容自体の問題性(質の問題と継続性の問題)と、手続的な問題についてもその内実が問われることになる。
最近、千葉・八千代市の事件で、原告の訴えが退けられる判決が出されている(千葉地裁平成20年7月25日判決)。また、横浜事件も東京高裁で結審を迎え、今後、判決が出される見通しである。
いずれにしても、保育所廃止処分をめぐる裁判は、地域的及び社会的な運動と連携して、自治体と国の施策自体を変えていくことを目標にした闘いの一貫として行われるものでなければならないと思う。

「子どもの意見は聞く必要がない?!」続報・高槻南高校事件

2005-01-01

「子どもの意見は聞く必要がない?!」
続報・高槻南高校事件     (2005年1月1日関西合同法律事務所ニュースより)

      弁護士 河村 学

1 高槻南高校の廃校処分

高槻南高校の廃校案決定(2001年8月)とこれに対する生徒・父母・教師・地域のみなさんの運動については以前の事務所ニュースでも報告しました。
スポーツも盛んで、中退率も府下有数の少なさという素晴らしい教育実践を行ってきた高槻南を、なぜ廃校にするのか。
生徒や地域の意見を全く聞かない廃校は許されるのか。大阪府の目指す教育とはどのようなものなのかなどの疑問が噴出し、大きな廃校反対の運動がわき上がる中で、2003年3月、裁判が始まりました。

 

2 裁判で明らかになったこと

裁判の中では、府教委のすすめる府立高校の統廃合がそもそも教育基本法の精神に反するものであること、廃校対象校の選定が恣意的に行われていることが明らかにされました。
特に、なぜ高槻南を廃校にしたのかという点に関して、府教委の担当者は、高槻市内の府立高校の所在地、面積、駅からの距離、学校の特色(これ自体極めて恣意的な記述でした。)等を記載したたった2枚の紙きれだけで、高槻南に「選定」したと悪びれもなく証言しました。一度も現場をみず、一度も関係者の意見も聞かず、各学校のプロフィールを書いただけの2枚の紙切れで、高槻南高校の廃校を決定したというのです。しかも、当初対象校は高槻南でなかったのに、何らの合理的理由もなく、直前になって高槻南に変更された事実も明るみにでました。
また、関係者の意見を聞かなかった点について、府教委の担当者は、対象校案を選定する段階で意見を聞けば混乱を招くからだと証言しました。どのような府立高校の配置が望ましいのか、どの高校とどの高校を統合することが望ましいのか、どの高校にはどのような配慮が必要なのかなどなどは、現場や地域の声、とりわけ生徒・教師の声を聞かなければ判らないはずであるのに(逆に実情を知らないで当てずっぽに対象校を選定することは地域に必ず混乱を招くことになるのに)、どの高校を対象校にするかは府教委の勝手とばかりに、全く聞く耳をもたないと証言したのです。
さらに、現に在校している生徒が、新入生が入ってこないことによりクラブ活動を断念せざるを得なくなったり、教師の減少により進学にも影響が出るなど教育を受ける権利を侵害された実態が明らかにされても、大阪府は、明白な嘘までついて被害はないといい、また、クラブの廃部に至っては、生徒の意欲の問題だなどと責任をなすりつけようとさえしたのでした。
この教育について全く無知・無理解な担当者に対して、高槻南の生徒たちは、次々と法廷に立ち、意見陳述や証言を行いました。「学校は建物ではありません。その中には人間がいるのです。…対象校に足を運ばす、書類を見て決定するやり方は間違っています。教員委員の人にビデオレターを送りましたが、ビデオデッキがないとの理由で着払いで送り返されたときは、大阪の子どものために働いている教育委員はこんなむごいことをするのかと失望しました。」。「生徒たちにとっては、私たちの学校がどうなってしまうのか、とても重要なことなのに、どうして何も説明を受けることができないのでしょうか。
子どもたちにわかるように説明をするのは、大人としての最低限の義務だと思います。」などなど。生徒に何の説明もせず、「心の傷」だけを与え、高校生活で当然享受すべき「教育」を奪う今回の廃校処分。このような行為を教育者・教育行政担当者が行っていいはずはありません。

 

3 驚くべき判決「生徒の意見は聞かなくてもいい」

しかし、2004年9月10日に出された判決は、生徒たちの訴えを全面的に退けるというものでした。その判決文は59頁に及びますが、すべて大阪府の言い分をそのまま追認するだけのものであり、そこには何らの主体的な判断もありませんでした。
先ほど述べた点については、対象校の選定は前記のようなものでも不合理ではない、生徒など関係者の意見は聞かなくてもいい、子どもの権利条約があっても関係がない、生徒には少なからぬ不利益が生じているが著しい不利益はない等々と判決文に書いているだけで、生徒たちの「なぜ」「どうして」にまともに向き合う回答は一切ありませんでした。
生徒たちの目をまともに見ることも、生徒たちの意見をまともに聞くこともできず、ただただ強い者に阿り(おもねり)、行政に遜る大人たちが、教育を語り、法を司る、この現実に、強い憤りを感じました。

西淀川公害訴訟

2004-11-14

西淀川公害訴訟   ( 関西合同法律事務所 「50年のあゆみ」から )

弁護士 上山 勤

 
1978年、西淀川区に居住する住民は関西電力・住友金属・大阪ガス・旭ガラス・神戸製鋼といった関西の大手企業と国・道路公団を相手取って排気ガスの差止めと損害賠償を求めて大阪地方裁判所に対して訴訟を提起した。ちょうど私が弁護士になった年のことだが、かっては昼間でもライトをつけなければ車が走りにくいとか、洗濯物が真っ黒になってしまう、ゼンソクで次々と患者が死んでいくといった背景におされ、やむにやまれぬ思いでなされた提訴であった。住民はまるで一揆を進めるかのように企業の門前に押しかけて抗議をしていたが埒が明かなかった。事務所でも多くの弁護士が参加したが、最後まで弁護団を構成して闘ったのは峯田勝次弁護士と上山勤の二人であった。
証明は困難を極めた。金も力も無い患者会と弁護団にとって、「被告等の企業や道路からの汚悪煙が一緒になって原告らの居住地に到達し、疾病を引き起こしている」このことを証明するためには、資料の発掘、原告からの聞き取り、社会学者や科学者の協力などきわめて多彩かつ多数の人たちの助力が必要であった。
提訴から17年目の1995年3月、被告企業らは責任を認め、原告患者らに対して、整列をした上、深々と頭を下げて謝罪をし、全面的な和解が成立した。『子や孫に青い空を手渡したい』という思いで、命がけで戦ってきた患者と家族。同年の7月5日には、井垣裁判長は、最後まで和解を拒否して争ってきた国・公団に対し、道路からの排気ガスによって原告らがゼンソクなどの病気に罹患したとして、賠償を命じる判決を言い渡した。その後高裁の手続きの中で患者側と国・公団とも和解が成立し、単なる賠償だけではなく、今後に向けた汚染防止のためのアセスメントの枠組みなどが合意された。
この西淀川公害訴訟の成果は、名古屋・川崎などの他の訴訟にも引き継がれていった。 

アクセス

地図

大阪市北区西天満4丁目4番13号 三共ビル梅新5階

地下鉄/谷町線・堺筋線 南森町駅
1号出口から 徒歩 約10分

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